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第一章(⑪)

 ギルはカトウの首根っこをつかんでアパートを出ると、止めてあったバイクにまたがり、元部下を自分のガールフレンドの所に運びこんだ。女は呆れ果てた表情を浮かべたが、それでもカトウを介抱してくれた。顔は腫れ、身体中が青あざだらけだったが、骨折などの重傷はひとつもない。多少の力加減はしてくれたらしい。二日もすると、腫れもあらかた引いた。 そして三日後の夕方。しばらく姿を消していたギルが、再び現れた。 「出かけるぞ。ついて来い」 「…イエス・サー」  もうカトウは逆らわなかった。徒歩で連れて来られた先は、下町にある労働者向けの食堂だった。店内に入った時、客の何人かがカトウにうさんくさげな視線を向ける。日系人に対する敵意は、いまだ市民の間に根強く残っている。それでも軍服姿のギルが、ガンを飛ばすと、それ以上、彼らも文句を言うことはなかった。 「まずは食え。話はそれからだ」  ギルは、注文した料理――マカロニのチーズ焼きだの、ポークチョップだのを前に、かみつくように言った。おそろしく粗暴で口も悪いが、決してそれだけの男ではない。カトウも実のところ、そのへんはよく分かっている。 ありがたく、油脂とタンパク質たっぷりの好意を受け取ることにした。 「大尉は、退役なさらなかったんですね」 「あ? ……はん。色々あってな。結局、軍に残ることにした。大尉ともなれば、給料も悪くはない」  ギルは面白くもなさそうに言い、手元のビールをあおった。 「お前、前より痩せたな、カトウ」 「そうですか?」 「昔も、たいがいだったがな。栄養の足りてないニワトリみたいだった。それが今じゃ、栄養失調で餓死寸前のニワトリに見える」 「じゃあ、殺して食べてもおいしくないでしょうね」  カトウの下手な冗談に、ギルは乗ってこなかった。 「もう二度と、クソの葉っぱには手を出すな」 「………」 「大麻(マリファナ)だけじゃない。もっとクソなドラッグに手を出す戦争帰りを、この眼でたくさん見てきた。どいつもこいつも、一時的に苦痛を忘れるのと引き換えに、ひどいことになっている。廃人には、なりたくないだろう?」  カトウは顔をそむけ、空になった皿を見つめた。ギルは舌打ちした。 「…ちっとも変わらねえな、てめえは。自分をいたわるとか、大事にしようって気配が、みじんも感じられねえ」  切れ長の眼を細め、ギルは元部下をにらんだ。 「勇敢というより向こう見ずで、無謀で、てめえの命なんざ、その辺に生えてる雑草くらいにしか思っていなくて、戦争が終わる前にくたばることを望んでいるようにしか、見えなくて……そんなお前を、俺は徹底的に利用したんだぞ、クソが。何か言えよ。俺はお前をドイツ野郎が丹精込めてつくった地獄に道連れにして、使い倒したクソ悪党だぞ?」 「………」 「――お前がいたおかげで、何十人も部下を死なせずに済んだんだ」  ギルの視線が一瞬、遠いところに向けられた。 「マジでうれしかったんだぜ。お前が生き残った時は。退役も、いい選択だと思った。これで少しは心を入れかえて、マシな人生を送るだろう。で、様子はどうかと見に来てみりゃ、何のことはない。あいかわらず、早く、くたばりたいとしか見えねえ生き方をしていやがった――俺がどれだけ失望したか、分かってんのか?」  ギルは一気に言って、ため息をついた。 「GIビル(復員兵援護法。復員兵に低金利のローンや失業手当、奨学金等を支給する制度)を利用すりゃ、大学に行って勉強することだって夢じゃない。戦争が終わったら、そうするつもりだって、前に言ってたじゃねえか」  ギルの言う通りだった。ロサンゼルスに戻って、落ち着いたら夜学に通って、高卒の資格を取る。十分な学力がついたら、大学にチャレンジする。確かにそれが、カトウの目標だった。だが、今となっては。そんな目標を持っていたこと自体、遠い過去の話だった。  黙り込むカトウに、ギルは決定的なひと言を投げつけた。 「今のお前を見たら。ミナモリは絶対に、喜ばんぞ」  ミナモリ。その名前を聞いた途端、カトウの鼻の奥がつんと痛んだ。こらえようとしたが、どうしようもない。カトウの意志などおかまいなく、枯れたはずの涙は、ぼろぼろと目からこぼれ落ちた。  十分ほど、ギルは目をそむけ、すすり泣くカトウが落ち着くのを待ってくれた。  そして、ようやく話ができるようになった頃、大判の封筒をカトウに突きだした。 「何ですか、これ?」 「軍に復帰するのに必要な書類一式をもらってきた」  事態がまだ呑み込めないカトウに、ギルは根気強く説明した。 「お前は、日本語がかなりできはずだ、カトウ。日本は今、アメリカの占領下にあるが、日本語のできる語学兵は、まだまだ足りていないって話だ――語学兵なら、まあ危ない目には遭わないだろう。軍にもどって、日本に行って、まっとうな人間として仕事をしてこい」 「いや、でも…」 「お前のアパートだったら、もう引きはらっといたぞ」 「……」ちょっと待て。なにを勝手のことをしてくれているんだ、この人は。 「ついでに、お前を訪ねてきた借金取りとも、話をつけといてやった」  凶悪な顔に、たいそう邪悪な笑みが浮かんだ。 「あんな奴に言いくるめられるとは、てめえは、おつむまで鶏なみだな。次からは、ちゃんと書類を確認しろ……なんだよ、その面は。安心しやがれ。きっちり話し合ったから、もうお前がつきまとわれることはねえよ」  一体、どんな話し合いをしたのか。聞かない方が、賢明だろう。多分。  それでも、なおカトウがまごついていると、 「四の五の言わずに、言われた通りにしやがれ」  ギルのこめかみが、ぴくっと動いた。 「また葉っぱに頼るクソの生活に戻りたいって言うなら。この店を出た足で、てめえをサンペドロ湾(ロサンゼルスの玄関口である海湾)に沈めてやるからな」  それが冗談だと、カトウは思わなかった。最初から、勝負になるはずがない。  ギルは多種多様の短所と長所を持っているが――第一に粗暴であり、何より自分がこうと決めたことは、必ずやり通す男だった。  

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