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第一章(④)

 新入り(カトウ)を二階の翻訳業務室へ連れて行った後、サンダースは再びクリアウォーターの元に戻って来た。 「どうだい、彼の印象は?」  クリアウォーターが読んでいた書類から顔を上げる。サンダースは、少し考えてから答えた。 「正直なところ。最初に抱いたイメージと、だいぶん違っていました」 「というと?」 「先日、見せていただいた経歴書からは、もっと屈強で勇ましい人物を想像していました。ちょうど、ニイガタ少尉のような」  ケンゾウ・ニイガタは翻訳業務室のリーダーを務める日系二世だ。背はさほど高くないが、上腕と胸に見事な筋肉がついていて、カートン(アニメ)に登場する人気キャラクターの水兵に似てなくもない。 「加えて、あの顔。日系人は年齢の割に若く見える者が多いですが、カトウ軍曹は中学生と言っても十分、通じそうです」 「それはさすがに言い過ぎだろう。あれでも二十二歳だよ」  カトウの経歴書は、U機関のほかのメンバーのものと一緒に、ファイル・キャビネットの中に収まっている。そこには、一人の日系二世の人生が短く要約され、記されていた。  ジョージ・アキラ・カトウ。一九二四年十一月、ロサンゼルスにある日本人街リトル・トーキョーで、日本移民の両親のもとに生まれる。その三年後、母親に連れられ、渡日。一九三八年に父親に呼び戻されるまで、母親の生まれ故郷である富山県富山市で過ごし、アメリカに帰国した後は、ずっと父親とロサンゼルスで暮らしていた。  そして一九四一年十二月――真珠湾攻撃により日本とアメリカが戦争に突入したことで、カトウ父子を含む日系人たちの運命は、大きな変動を迎えた。  開戦の翌年、アメリカ本土にいた日系人約十四万人の内、軍事管轄区域に指定された地域に居住する十二万人が、ルーズベルト大統領の発令した大統領令に則って、全米各地に設けられた戦時転移所――実際は強制収容所に送り込まれた。この時、カトウも、父親とともに、カリフォルニア州の砂漠地帯に設けられたマンザナー収容所に収容されている。  おそらく、その当時に撮影されたものだろう。現在よりさらに若い――というより幼い顔のカトウ少年の写真が、ファイルの中に収められていた。 「――それで。どうして、カトウをここに入れる気になったんです?」 「んー、顔が好みだった」 「………」 「冗談だよ。そんなきつい目つきで、こっちを睨まないでくれ」書類を机に放り、クリアウォーターは頭の後ろで手を組んだ。「本部の六階の食堂に行ってね。実際に話をしてみた。不自然な変装をして行ったんだが、彼はすぐに、そのおかしさに気づいていたよ」 「ほう」 「でもその後、『まあ、いいか』という感じでスルーした」 「ダメじゃないですか」 「確かに、そこだけ見ればね。でもその後、困っているマヌケな男を、忍耐強く手助けしてくれた。決め手はそこだ。一見すると愛想がないが、根は親切で献身的。そういう人柄の持ち主は、組織でいい働きをする」  聞いていたサンダースは、わざとらしくため息をついた。 「で、一体どんなマジックを使って、カトウの引き抜きに成功したんです?」  連合国軍――実質のところアメリカ軍――による日本占領から、すでに一年半が経過した。しかし今なお、どこの部署でも日本語のできる人員は、慢性的に不足状態が続いている。参謀第二部(G2)を率いるW将軍の肝いりで設立されたとはいえ、U機関は職務内容が曖昧で、まだ何ら実績のない部署である。一ヶ月前にマックス・カジロー・ササキ軍曹を迎えたばかりだ。さらに日本語のできる日系二世を確保できたのは、奇跡と言わぬまでも十分に珍しいことだ。 「しかも、カトウの元の所属は民生局(GS)。彼らがよく、参謀第二部(G2)の要求を飲みましたね」  平服のリベラリストの多い民生局と、ばりばりの軍人で占められる参謀第二部が、GHQ内部で激しく対立していることは公然たる秘密だ。  サンダースの指摘に、クリアウォーターは微笑を浮かべた。 「民生局には、個人的に知り合いがいる。時々、酒も一緒に飲む仲だ。部外者相手だからこそ、向こうもついつい口が緩んで、色々話をしてくれるものさ。口うるさい上司に対する愚痴とか、使えない部下への不満とかね」 「…カトウは『使えない奴』だったと?」 「少なくとも、民生局ではそうだったようだね。ほかの日系二世とも、あまり交流がなく、浮いた存在だったらしい。持て余していたところをつついたら、案外あっさりこちらに譲ってくれた」  クリアウォーターは立ち上がると、窓から外を見下ろした。部下のひとりであるサムエル・ニッカー軍曹が、熱心にジープの手入れをしている。そのそばで、フェルミ伍長が鉛筆片手に、せっせとニッカーと灰緑色のウィリス・ジープを写生していた。 「サンダース。君は車の運転をフェルミ伍長に頼むかい?」 「行き先が天国か地獄でない限り、しませんね」  どこまでも生真面目な口調だったので、クリアウォーターはつい笑ってしまった。 「カトウの件も、同じことだよ。ナイフにも色々な種類がある」クリアウォーターは、意味深な口調で言った。「紙を切るのに日本刀(サムライ・ソード)を使っても、うまくいくはずがない――まあ、一週間くらいは様子見といこう。カトウがどんな人間か、よりよくつかむには、それくらいの時間は必要だろう」 「また同じスペル・ミスだ、カトウ!!」   二階の翻訳業務室に、怒号が響きわたった。声の主がごつい右手を翻す。赤鉛筆で真っ赤になった用紙が、全員の眼に入った。 「source(情報の出所)をsourse(塩漬け)と書くのはまだしも、knife(ナイフ)をnifeとつづるな! 小学生か、貴様は!?」  ケンゾウ・ニイガタ少尉の叱責に、離れた所に座るササキ軍曹が落ち着かない様子で視線を漂わせる。対面に座るアイダ准尉は、どこ吹く風で自分の書類を翻訳し続けた。  怒り心頭の上司を前に、カトウはただ首をすくめるしかなかった。 「…すみません。やり直します」 「そうしろ。あと、関係代名詞をやたらとthatで代用するんじゃない。それから――」  延々説教をくらわせた挙句、ニイガタはそばにあった翻訳済みの用紙を十枚ほど、無造作にカトウに手渡した。 「これも清書して来い」 「……イエス・サー」  答えながら、カトウはうんざりした。それが顔に出たらしい。 「とっとと、取りかかれ!」  ニイガタに怒鳴られ、急いで席に戻った。  時計の針が退勤時刻の五時半を過ぎる頃、ようやくカトウは清書を終わらせた。それをニイガタの机に持っていく。ニイガタは厳しい顔つきで書類をチェックしていたが、ようやく、 「いいだろう」 と言った。 「今日は初日だ。明日からもう少し、ましな仕事をするように」  解放されたカトウは自分の席に戻って、帰り支度を始めた。といっても、小さなカバンに入れるのは筆記用具と辞書くらいだ。ほかの私物はすでにアイダがジープを回し、新しい宿舎に運び入れてくれていた。  人影に気づき、カトウは顔を上げた。すでに荷物をまとめたニイガタ少尉がそこに立っていた。 「おい。今日の夜は空いているか?」  カトウが答えるより先に、ニイガタが告げた。 「ヒマなら来い。一杯おごってやる」

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