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第一章(⑦)
アイダはさらに、U機関の最近の動向をカトウにかいつまんで説明してくれた。
「簡単に言うと。俺たちはここ最近ずっと、東京とその周辺に流通する麻薬を追っている」
「麻薬……ですか」
カトウの声がわずかにざらつく。その声音に、アイダは何かを感じ取ったようだが、肩をすくめて受け流した。
「U機関における俺たち日系二世の仕事のひとつが、日本警察などから入ってくる重要な報告書や有力情報を、日本語から英語に訳すことだ。翻訳された文書は、一階にある資料室に運ばれて整理保管される。それらはU機関の人間だけじゃなくて、対敵諜報部隊 や他の部署の人間にとっても有用なものになる――クリアウォーター少佐はそう考えている」
「なるほど」
聞けば今日、カトウが翻訳していた文書も今朝方に警視庁から送られてきたものだという。
「しかし、自分を追い出した相手に対しても情報提供を考えているなんて。何というか……」
「お人よし?」
アイダは皮肉っぽく口元をゆがめる。
「なあに。俺も同意見だよ。あの人は有能だけど、どっか抜けているというか、甘いというか……。自分の古巣の対敵諜報部隊 ともめた時だって、例の性癖まで攻撃材料にされて、結構大変だったはずなんだけどな」
それを聞いて、カトウはどきりとする。別に、自分のことを言われているわけではない。それでも悲しいかな、他人にどう思われるか気になってしまうのが人の性質 だ。
とりわけ、ある種の少数派に属す人間であれば。
「カトウは平気なのか?」
よりにもよってアイダがそのことを聞いてきた。
「クリアウォーター少佐の、例の性癖は。あれのせいで出て行った奴、かなりいたから」
「別に、気にしません」
そっけなくカトウは答えた。アイダが、首を軽くかしげる。少し答えるのが早すぎか、あるいは不自然だったか。カトウはわざと、むっとした顔つきになり、
「准尉こそ、気にならないんですか?」と逆にアイダに聞いた。
グラスを置き、アイダは少し考え込む顔つきになる。昼間は気づかなかったが、二重まぶたで、日系人にしては彫りの深い顔立ちをしている。女にもてるタイプだな、とカトウは思った。
「まあ世の中、色々な奴がいるし。いちいち気にしていたら、仕事にならない」
そう言って、アイダは白身魚のフライをフォークでつついていたが、不意に低い声で笑った。
「まあ昔、冗談半分で口説かれた時は、さすがに貞操のために転属しようか迷ったことがあったけど」
「………」
前言撤回。女だけじゃなく、男にももてた。
「えー、それホンマの話ですか?」
ここで、ササキが話に割り込んできた。
「めちゃくちゃ、みさかいないですね、あの人。ミィ、少佐が庭先でフェルミ伍長の奴に抱きついていい感じになってんの、この前見たで」
禁欲的ならざる同性愛者――サンダースの表現は、大げさでも何でもないようだった。
「ミィも口説かれたら、どないしよう…」
「きっぱり断ればいいさ」アイダが言った。
「変にどっちつかずの返事をすると、あの人は勘違いするから。そこだけ気をつければいい」
「わぁかりました!」
ササキが勢いよく敬礼する。ろれつが十分にまわっていない。どうやら、カトウが見ない内にずい分と飲んだらしい。いつの間にか、ニイガタもひじをついて、こっくりこっくりと船をこいでいた。
アイダは給仕を呼んで、酔い覚ましの番茶を頼んだ。日本人の開いている店なので、こういう点では融通がきく。茶を待つ間、アイダはふと今日来たばかりの新入りに尋ねた。
「そういえば、カトウは大戦中、どこで働いていたんだ?」
「え? ええっと……」
カトウが答えようとすると、またしてもササキが口をはさむ。
「あ、ちょい待て! 言うな。当ててみるから」
ーー……いちいち、面倒な奴だな。
カトウはそう思ったが、言われた通り口を閉ざした。ササキはどんぐり眼をじいっと見開いて、カトウの顔を眺める。
「ハワイじゃないんは、確かじゃな。それなら、ミィが知っとるはずじゃ」
「ひょっとして、オーストラリア?」
アイダの言葉に、カトウは「外れ」と言った。ササキがうなった。
「うー、分からん。のう、なんかヒントくれんか?」
「…十月末には、冷たい雨が降っていて、冬用のコートを着ていた」
「北半球だな」
「お、分かった。ビルマじゃろ!」
「それとも意外なところで、アリューシャン列島とか? アッツ島やキスカ島は、日本軍が占領していて、撤退した後はアメリカ軍が駐留していたはずだ」
「二人とも外れ」
カトウはグラスをかたむけ、オレンジジュースを飲みほした。もう、この話題は打ち切りたかった。
だがササキは、なおも「なら、インドネシア。それかインド?」としつこく食い下がってくる。カトウは面倒になってついに白状した。
「ヨーロッパだよ。イタリアとフランスで、ドイツ軍と戦ってた」
その言葉で、アイダとササキの表情が変わるのが分かった。カトウは肩をすくめた。いまだに慣れない反応だ。過度に評価され、一目置かれるのは。
自分はたまたま死にそこねただけの男だ。
それ以上でも、それ以下でもないのに。
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