9 / 264

第一章(⑧)

 そもそも戦争が終わった頃、カトウは自分が近い将来に、日本で働くことになるなど、夢にも思っていなかった。  一九四五年五月。ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーが自殺し、ドイツが降伏したことで、ヨーロッパ戦線は終息へ向かう。そして三ヶ月後の八月十五日。日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を受け入れたことで、第二次世界大戦は連合国の全面勝利で幕を閉じた。  アメリカに戻る船をイタリアで待っていた時、カトウは一通の手紙を受け取った。地球を半周してきた手紙は、カトウがかつて暮らしていたマンザナー収容所の日系人医師が出したものであった。  四隅の擦りきれた封筒から現れた文面には、カトウの父親が肝硬変の悪化により、四月五日に収容所内の病院で息を引き取ったと記されてあった。その日は奇しくも、難攻不落と称されたドイツ軍の防衛線、イタリアの「ゴシック・ライン」を、カトウの属す連隊が突破した日であった。  繰り返し読み終えた後も、カトウの目に涙はなかった。誰かのために流す涙は、ずい分前に枯れ果てた。それに加え、元々父親とは折り合いが悪かった。偏狭で、いつも酒を飲んでは毎晩のように息子を殴りつけていた男。ロサンゼルスで父と暮らした四年間、カトウは金を貯めて、父親の元から逃げ出すことばかり考えていた。  だが、父親は地元の日系人有力者に大きな借金があった。カトウの稼ぎも債権者によって天引きされており、貯金は容易なことではなかった。実際に、十分な金を貯める前に日本がアメリカと開戦したせいで、カトウは父親ともども、強制的に日系人の収容所に送られることになった。  手紙をたたみながら、カトウは肉親のことを考えた。この世に生まれる前に、死んでしまった弟。その弟を流産した数日後に亡くなった母。そして今回、父親が鬼籍に加わった。日本にまだ伯父夫婦がいるが、父親以上に連絡を取りたい相手ではない。  そこでやっと、自分が頼るべき肉親のいない天涯孤独の身となったことが、実感としてわいてきた。  ロサンゼルスに戻ったのは、一九四五年もあと数日という日だった。半ば予想した通り、父親と暮らしていたアパートの一室はすでに家具が処分され、別の家族が住んでいた。  カトウの最初の仕事は、自分の居場所を確保することだった。  だが、それさえ容易なことではなかった。日系人に対する風当たりは、戦中とほとんど変わっていない。入居を何軒も断られた末、やっとのことで探し出したのは、下町のボロアパートの地下室だった。元々は物置として使われていた場所で、窓もなく、湿気ていて、当然のように寒かった。  それでもカトウは中古の寝具を手に入れ、そこに放り込むと、退役手続きを済ませに行った。除隊をすませると同時に、軍籍にあった者が受け取れる失業手当も、無事申請できた。  ところが、ほっとしたのも束の間。運命はどこまでもカトウに意地悪なようだった。  アパートへの帰り道、父親の借金の債権者と、運悪く出くわしたのである。  

ともだちにシェアしよう!