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第一章(⑨)
逃げ出しかけるカトウを捕まえて、債権者の男は執拗に取り立てを迫った。
父親の借用書類はまだ手元に残っている、返さないというのなら、しかるところに訴え出てやるぞーー汚れた背広姿で食い下がる相手に、カトウは困惑と同時に哀れみを覚えた。
他の日系人と同じく、この債権者も収容された時に、多くを失ったのだろう。それを少しでも取り返すのに必死なのだ。
あいにくカトウが取りかえしたいものは、どれほど対価を払っても二度と戻ってこない。
結局、カトウは男にアパートの住所を教えた。それ以降、毎週やって来る男に、受け取った失業手当の金を、そっくり渡すようになった。その間に密かに安い賃金の仕事を渡り歩いて、カトウはかろうじて食いつないだ。
洗濯屋のアイロンがけ、ホテルの掃除、船の荷おろし、エトセトラエトセトラ。……だが結局、どれも長続きしなかった。
支えてくれる親兄弟も、相談できる友人も、ロサンゼルスにはいなかった。カトウはいつの頃からか、昼間はひどい無気力に、夜は不眠に悩まされるようになった。ものはためしにと、酒を飲んでみたが、まったくの下戸である。気分が悪くなっただけで、すぐにやめた。
そのかわりに、手を出したのが――大麻 だった。
無気力にはあまり効果はなかったが、少なくとも夜はよく眠れるようになった。眠りすぎて、目覚めたのが夕方ということも何度かあったが、それすら気にならず、効きすぎでそのまま二度と目覚めなければいいとさえ思うようになっていた。
そんな日々がだらだら続き、季節が春から夏に変わる頃。
突然、それが終わりを迎えた。
アパートの地下室には、窓がない。だから、ドアを激しく叩く音が眠りを妨げた時も、一体、何時かさえ分からなかった。カトウは寝返りを打つと、かぶっていた毛布を頭まで引き上げた。昨晩吸った大麻が、まだ身体の中に残っている。そのせいで、意識が朦朧としている。誰かの叫ぶ声が、ひどく耳障りだが、起きるという選択肢はなかった。
――放っておけばいい。どうせいつかは静かになる。
実際に、しばらくすると音はぴたりとやんで、静かになった。やれやれ、やっと眠れる。そう思った矢先――。
ガァン、ガァン!!
耳をつんざく銃声に、カトウは飛び起きた。
昔、身につけた習性で、反射的にガーランド銃を探しかける。当然だが、ボロアパートの地下室にそんなものがあるはずがない。そうこうする内に、ドアが内側に向かって勢いよく蹴りやぶられた。あまりに勢いが激しすぎて、壁に当たった衝撃で割れ砕けたほどだ。多分、あとで廃材にするしかないだろう。
しかし、ドアの心配をするのもそこまでだった。
「おーう、なんだ、ちゃんといるじゃねえか」
ぽっかりあいた戸口に、仁王立ちした軍人が、カトウを認めて目を細めた。年は三十前後、中背で、どちらかというと細身といってもいい。しかし、その顔つきたるや、地獄の下級悪魔がはだしで逃げ出すほどの凶悪なオーラを放っていた。
「タヌキ寝入りをしやがって、クソガキが。あ? なんだ、その面は。文句があったら、言ってみろ、チビ助 」
「………」
文句なら、一ダースくらい、即座に並べられそうだった。何せ、周囲にほかに人がいないとはいえ、市街地のど真ん中で、他人の家のドアを無断で手早く開けたいという目的だけで、四十五口径の拳銃をぶっ放したのだ。しかも十中八九、中にいる人間に弾が当たることは度外視している。―――相変わらず、やることが直線的で過激だ。
カトウはため息をつき、軍服を着た不法侵入者に言ってやった。
「なんでここにいるんですか。ギル大尉?」
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