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第二章(④)
SUGAMO PRISON(巣鴨プリズン)。
その刑務所の名は、日本に来て日の浅いカトウでさえ耳にしたことがあった。東条英機元首相をはじめ、戦中に日本の指導者として戦争遂行を担った者たちが、「平和に対する罪」のかどで戦後、連合国によって訴追される。逮捕された後、彼らの身柄はかつて東京拘置所――この刑務所に移された。
いわゆる「A級戦犯」である。さらに、通常の戦時国際法に違反する「戦争犯罪」を行った容疑者たちもまた、逮捕後、続々とここに収監されていた。
すでに門衛には連絡が入っていたらしく、ジープは難なくゲートをくぐり抜けた。各所に、監視塔と鉄条網が設けられている。
それらを眺める内に、カトウは既視感にとらわれた。脳裏をかすめたのは、砂塵舞うマンザナー収容所の光景だ。一九四二年から四三年、十七歳から十八歳の少年時代の最後を過ごした場所。
収容所を出た夜、カトウは自分がようやく自分の意志で人生を選び取れる大人になったのだと思った。――少なくとも、そう錯覚していた。
やって来たMPに先導され、カトウはクリアウォーターの後ろに続いて歩き出した。建物に入り、暗く長い廊下を通り抜け、その先にある一室に通される。そこは長テーブルに椅子が三つあるだけの殺風景な部屋だった。
「ここでお待ちください」
案内係のMPがドアの外に姿を消すと、部屋にはカトウとクリアウォーターだけが残された。赤毛の少佐が筆記用具を取り出すのを見て、カトウもあわてて準備をはじめる。
まもなく、先ほどのMPが背広姿の男を連れて入って来た。後でクリアウォーターに教えてもらったことだが、刑務所内の囚人にはいまだ囚人服が支給されていないため、各々が持ち込んだ洋服を着ているそうである。
甲本貴助は中肉中背で、黒のセルロイドの眼鏡をかけた、これといった特徴のない男だった。長い囚虜の生活で若干やつれているが、それでも四十歳という年齢相応に見える。両手にはめられた手錠さえなければ、どこかの会社の経理と言っても通りそうな風貌だ。
それが、逆に恐ろしく感じられた。
「――甲本は戦争中、シンガポールの華僑粛清事件に関与し、さらにフィリピンのマニラ近郊の村で、民間人の大量虐殺を指揮した。すでに、複数の証拠と証言が挙がっている。そのせいで、イギリスとフィリピンの両政府から、引き渡しが求められている」
クリアウォーターは車中で、カトウにそう伝えていた。
甲本はクリアウォーターの隣に座るカトウを認めると、それまで無表情に近かった顔に、若干の好奇心を浮かべた。
「ーー初めて会う、二世の方ですね」
挨拶を交わした後の第一声が、それだった。
さらに「本日は、よろしくお願いします」と自分よりずっと若いカトウに、ぺこりとおじぎまでした。大量虐殺に指揮した残忍な男とは思えぬ腰の低さだ。カトウは、毒気を抜かれる思いがした。しかし――。
「…そろそろ、始めさせてもらうぞ」l
威圧的な声でカトウは我に返った。隣に座るクリアウォーターの表情が一変していることに気づく。それは、今までカトウの見たことのない種類のもの――冷厳そのものだった。
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