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第二章(⑤)
「甲本。今日、来たのは他でもない。ある人物の消息を知りたい」
クリアウォーターの言葉をカトウはすぐに、日本語に翻訳して伝えた。
「人の消息? いったい、誰のですか?」
甲本も通訳を介した尋問に慣れているようで、適当な所で言葉を切った。
「その人の名前を教えて、いただけますか?」
「あいにく本名は判明していない。だが、『ヨロギ』という暗号名 を持つスパイに、聞き覚えはあるだろう?」
甲本が、あいまいな顔つきで沈黙する。クリアウォーターは冷ややかな口調で続けた。
「情報将校だったお前なら、必ずあるはずだ。マニラの日本軍の司令部から、一九四三年に少なくとも二度、ヨロギに宛てて発せられた暗号無線の記録が残っている。アメリカ軍で傍受し、解読されたものだ」
戦時中、無線を使用する時、どんな国であっても、暗号化して情報をやり取りするのが通例だ。日本軍も当然、そうしていた。しかしカトウが噂で聞くところでは、開戦からほどなくアメリカは日本軍の暗号を、ほぼ解読できていたという。そのため日本側の情報は、すべて敵に筒抜けになっていた。
クリアウォーターは、さらに言った。
「同じ一九四三年に、『ヨロギ』の側から第十四方面軍に向けて発せられた無線も二件、傍受されて記録に残っている。どういう内容だったか、記憶にあるか?」
カトウは翻訳し、甲本の反応を待った。だが、男は首を少しかしげただけで、口を開く気配がない。クリアウォーターの声が冷たさを増す。
「二件ともオーストラリアに出入港する、連合国輸送船の航路情報だった。どの海域をいつ頃、どういったルートで通過するか。内容は非常に正確だった。傍受できたから、幸い直前に航路変更して事なきを得たが――そうでなければ、奇襲を受けて沈められていた可能性が高い」
クリアウォーターがひと言、発するごとに室内の空気が密度を増して、重くなっていく。そのようにカトウには感じられた。
「当然、傍受されなかった情報もたくさんあったに違いない。それがどのように使われたか、その結果、どれ程の犠牲が出たかは……結局、分からずじまいだ。残念なことに。終戦に至るまで、我々はついに『ヨロギ』の正体を暴いて、逮捕することができなかったからな」
カトウがその言葉を伝え終えた時、甲本が不意に顔を上げた。
「奇妙ですね」
甲本は言った。
「あなたは今まで、その人物について、私に尋ねたことはなかった。どうして今頃になって、その男のことを知りたがるのか。理由を教えてもらえませんか?」
今度はクリアウォーターが口を閉ざす番だった。緑色の眼が、暗い森のような色にしずむ。だが、赤毛の少佐はすぐに手持ちのカードを切って見せることを選んだ。
「『ヨロギ』と思われる人物が、この東京に姿を現したからだ」
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