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第二章(⑥)

 一九四四年一月。連合国軍太平洋司令部が置かれたオーストラリア東海岸の都市ブリスベンで、一晩の内に二人のアメリカ軍人が殺害される事件が発生した。  一人は市内に設けられた防空壕から、そしてもう一人は公園の繁みの中から発見された。銃声を聞きつけられることを恐れたのか。どちらの死因も、鋭利な刃物による刺殺だった。それも背後から、心臓を一突きだ。検死に当たった医者は、「二人とも、襲われたと気づいた時にはもう手遅れで、助けを求める間もなく死んだ」と述べた。あまりに無駄がなく、鮮やかな手口から、相当に訓練を積んだ人物の犯行と考えられた。  アメリカのGI(兵士)が立て続けに殺されたというだけで、十分にショッキングな事件である。だがある事実が、捜査関係者にさらに衝撃を与えた。殺害された二人は、陸軍犯罪捜査局(CID)の捜査官で、当時、南西太平洋軍最高司令官の地位にあったダグラス・マッカーサー将軍の密命を受け、ある人物を追っていたことが、明らかになったからだ。  それが、『ヨロギ』の暗号名を持つ日本のスパイだった。 「当時、私はブリスベンにある連合軍翻訳通訳部(ATIS)に勤めていた。殺人事件の捜査班に直接、加わることはなかったが、オブザーバーとして非公式に何度か意見を求められた。だから、事件のことはよく覚えている。いくつもの状況証拠から、この二人は彼らが追っていた『ヨロギ』によって殺害されたと推定され、その線で捜査が進められた」  その頃、クリアウォーターは事件の担当主任と非常に懇意にしていた。正確に言うと、その一年ほど前から「つき合っていた」のである。もっとも、残念ながら終戦を迎えるはるか手前で、破局に至ったが。  その捜査主任カール・ニースケンス中佐は、クリアウォーターに殺害された二名の写真と、医師による解剖所見の資料を見せ、詳しい捜査状況を聞かせた。 「二人は武術の達人というわけではないが、それなりに訓練を積んだ軍人だ。一体、どうしてこうも易々と背後を取られたのか、さっぱりわからない」  嘆息するニースケンスに、クリアウォーターは一枚の写真を示した。殺害現場の写真で、中央に被害者となった捜査官の遺体が写っている。ニースケンスが何度も見返した写真。しかしクリアウォーターが指さしたのは、思いもよらぬ部分だった。 「被害者の正面に、木があるね」 「それが?」 「ちょっと確かめたいことがあるんだ。案内してもらえないか、カール」

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