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第二章(⑦)

 すでに暗くなっていたが、ニースケンスは殺人のあった現場にクリアウォーターを連れて行ってくれた。到着してほどなく、クリアウォーターは写真に写っていた樹木を探し出した。持参した懐中電灯で、その幹を照らす。すると彼の頭より少し高い位置に、釘を打ちつけたような傷が見つかった。  ニースケンスは目をむいた。傷は明らかに人為的なものだ。だが、捜査官の誰ひとりとして――ニースケンス自身も含めて――今まで気づかなかった。  さらにクリアウォーターの要望で、もう一人の殺害現場である防空壕までニースケンスは車を走らせた。防空壕内の木の柱には、先ほどの現場と同じくらいの位置、そして同じ高さに、よく似た傷がついていた。 「殺害方法の見当がついたよ」  クリアウォーターはにっこり笑った。 「二人は恐らく、容疑者となる人物を追いかけていた。それぞれ単独でね。さて、その尾行の最中に、問題の人物が捜査官の目の前でいわくありげなメモを取り出したとする。しかも、そのメモを釘で木や柱に打ちつけて、その場を立ち去ったとしたら――カール。あなたなら、どうする?」  カール・ニースケンス中佐は無言で柱の前に立った。おもむろに傷のついたところに手を伸ばす。そのがら空きになった背中を、クリアウォーターは指でつんと押した。 「……そう。どんな人間でも、目の前のことに注意が向くと、背後がおろそかになる。一瞬できたそのスキを、犯人は見事に突いたんだ」    そして十日前。東京都内のある神社の境内で、ひとりの男が酷似した方法で殺害されているのが発見された。  男の名は貝原靖(かいばらやすし)。自称「何でも屋」。その実、ヤクザのたまり場から、共産主義者の集会まで、あらゆる組織に顔を出しては、貴重な情報を見つけ出してくる有能な情報屋だ。  いや、情報屋だった。  貝原が死体となって発見された翌日、クリアウォーターは遺体が安置された警察署に赴き、自ら亡くなった男の検分に当たった。貝原にちょうど仕事を依頼しており、なぜ彼が殺害されたか、その理由を探る必要があったからだ。  死者の身体の傷口を見た途端、クリアウォーターの体内に静かな戦慄が走った。直感が、彼に告げたのだ。 ーー背後から、服ごしに心臓を一突き――ずい分、似た手口じゃないか。  警察署を後にしたクリアウォーターは、その足で貝原の殺害現場に戻った。  貝原が発見された神社は天神を祀っており、都内でも名の知れた梅の名所である。彼の亡骸が横たわっていた場所の眼の前にも、見事な梅の木が散る間際の花を咲かせていた。  その梅の幹に、クリアウォーターは予期していたものを見つけた。  真新しい傷跡を。  三年前、ニースケンスと共に見た光景が、クリアウォーターの脳裏に鮮やかによみがえった。  クリアウォーターはその日の内に、元恋人の陸軍中佐にテレタイプで連絡を取った。そしてつい昨日、一九四四年の事件の資料コピーが航空便で届いたのである。中に入っていた解剖所見を読み直したクリアウォーターは、改めて確信した。  一九四四年にオーストラリアで二人のアメリカ軍人を殺害した人物と、十日前に都内で貝原靖を殺害した犯人は、同一人物であると。

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