22 / 264

第二章(⑨)

 甲本の言葉に、クリアウォーターはこれ以上ないくらい冷たく乾いていた声で応じた。 「ーー甲本貴助。お前はどうして自分が逮捕され、ここに収監されたか、本当に理解しているのか?」  部屋の空気が、急激に薄くなっていく。そんな錯覚さえ覚える。  甲本から発せられる毒気とクリアウォーターの怒気が、部屋の中に充ち、窒息しそうだ。それでもカトウは必死で、自分に課せられた役目に集中した。  クリアウォーターは言った。 「貴様は戦争中に、少なくとも二件の民間人虐殺を指揮した。ゲリラを撃滅すると言う名目で、村を焼き払い、住民を無差別に虐殺した。老人も、女性も、そして幼い子どもまで……それを、無私の忠誠から出た行為だと? 笑わせるな。お前は人を殺しているという感覚を欠落させて人を殺した――ただの大量殺人者だ」  翻訳を聞き終えた甲本は、クリアウォーターを鋭くにらみつける。()えない背広姿の男に、カトウは軍人だった頃の姿をかいま見た気がした。 「なるほど。あなたは、私を嫌っていらっしゃる。……嫌い、軽蔑し、憎んでいながら、必要な時だけは利用する。ずい分、面の皮が厚いじゃあないですか」  毒のこもった言葉に、クリアウォーターはカミソリのように酷薄な笑みで応じる。 「そんなことは、重々承知の上だ。そして、これが私のやり方だ。十分な思慮分別を持ちながら、お前のような生き方をした人間に同情はしない。ただ、利用するだけだ」 「……同じ立場にあったなら。貴様もきっと、私と同じことをしたはずだ!」  甲本は、顔を赤くして叫んだ。 「貴様とて、軍人の端くれ。勝つためならば、己の手を血で染めることを(いと)わない。自分の祖国の正義に真に忠実であるのなら、そうしたはずだ!」  カトウはその言葉を忠実に訳しながら、奇妙な思いにとらわれる。  ここに来る前、クリアウォーターの口から甲本の経歴を聞かされた時、とても同情に値する男とは思えなかった。だが今。甲本が人の心を持たぬ残虐無道な存在と、簡単に切り捨てることができなくなっている自分に気づいた。その一方でーー。 ーーこの男(クリアウォーター)は、どう答える?    カトウは上官を見つめる。甲本を極悪非道の男と切って捨てられぬ一方で、その言葉を否定して欲しいと願う。  その期待は裏切られなかった。  赤毛の少佐は、ただひと言、言い放った。 「いいや(ノー)」  即座に否定されると思っていなかった甲本が、一瞬とまどう。その(ほころ)びに、クリアウォーターはどぎつい笑みで切り込んだ。 「私はお前と同じことはしない。なぜか? 簡単だ。最高の反面教師が今まさに、私の目の前にいるからさ――たとえ、戦争という非日常の世界であったとしても。そして、たとえ祖国が勝利するためであったとしても。お前のようなやり方で、人を殺し、彼らの財産を奪い、生活を破壊した者は、いずれ罰せられるーーそして、結局は祖国の名誉も、自分の名誉も、その行為によって汚すことになるんだ」  クリアウォーターは穏やかに言った、 「さいわいにして、私はそうなる前に考える機会を与えられた。だから、お前と同じ立場にあっても、私は同じ過ちは繰り返さない。たとえ祖国の命令であろうとも、従わない。その結果、不名誉除隊させられようが、反逆罪で銃殺刑にされようが。自分の良心に従った結果なら、後悔はしない」  この言葉で、勝負はついた。  甲本は固い顔で黙り込み、やがて大きく息を吐き出した。 「……『ヨロギ』の正体は、本当に知らないんだ」  肩を丸めたその姿は、一気に年を取って老けこんだように見えた。 「彼は『残置諜報(ざんちちょうほう)』だ。敵地に残り、情報を送り続ける。いわば死間(しかん)だ。私は彼の顔も、年齢も、本名も何も知らない――本当に、知らないんだ」

ともだちにシェアしよう!