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第二章(⑩)

 薄暗い建物から外に出た途端、カトウはふうっと息をついた。すぐにでも、一服したい気分だ。そう思っていたら、目の前にラッキーストライクの箱が差し出された。 「一本、どうだい?」  見上げると、笑っているクリアウォーターと目が合った。いつもの、あの気さくな笑顔だ。カトウは「いただきます」と言って、一本引き抜いた。  そのまま、入口のところで二人並んで、タバコを喫った。  しばらくすると、カトウはようやく、先ほどの一幕を冷静に考えられるようになった。 「…失敗しました。余計なことを言って、申し訳ありません」 「大丈夫だよ」  クリアウォーターは鷹揚に言った。 「初回としては十分、合格点だ。次から、気をつけてくれれば、それでいい」  そう言ったものの、すぐに気になることがあるかのように緑の瞳をカトウに向ける。カトウが少々、居心地悪さを覚えるくらい長く見つめた後、 「――一度、翻訳するのが少し遅れたね」と言った。 「ほら、ちょうど貝原の一件を、君が甲本に聞かれる直前だ。そのせいで、甲本は君が何か知っているのではないかと、思い違いをしたようだが……そんなに、難しくはなかった言葉のはずだが、どうして遅れたんだい?」  カトウは返答に窮した。だが、結局、正直に答えた。 「貝原という男が殺された理由について、あなたは『見当もつかない』と言いました。でも――俺には、あなたが何かを隠しているように感じたので」 「…おやおや」  クリアウォーターが感心したようにつぶやく。 「珍しいね。仕事中にうそをついても、見破られることは滅多にないんだが」  カトウを見おろす緑の目に、興味深げな光が瞬く。カトウは一瞬、誘蛾灯にさそわれた羽虫のように、その目に魅入られた。 「君のまえでは、普段よりも気をつけた方がよさそうだ」  笑ってタバコを放りだすと、クリアウォーターはすたすたと歩き出した。カトウは、慌ててその後ろ姿を追った。

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