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第二章(⑭)

――約五ヶ月前。参謀第二部(G2)の置かれた旧日本郵船ビル。  東京駅の目と鼻の先にある建物の一室で、クリアウォーターは参謀第二部を統率するW将軍と向かい合っていた。 「――有楽町の路上で起こった騒動については、報告書にある通りです」  直立不動の姿勢で、クリアウォーターは将軍に言った。珍しく、その顔にいつもの微笑はなかった。 「民間検閲課(参謀第二部の部局のひとつ)で働くコリン・バドラー曹長は十月四日の深夜、同課の同僚とともに、日本人女性二人を囲んで暴行を加え、一人の頬骨にヒビが入るほどの大怪我をさせました。彼女たちは『パンパン』と呼ばれる街娼で、一人が数日前にバドラーを客にとった際、金を払ってもらえなかったために、請求に行ったそうです。ところが、バドラーは逆上し、街娼を殴りつけました」 「…そこに、君の部下ケンゾウ・ニイガタ少尉が通りかかり、バドラーを殴り倒したと」 「仲裁に入ったニイガタ少尉は、最初は言葉で説得を試みました。それについては、目撃者の裏づけは取れています」 「しかし、結果的にバドラーはニイガタのパンチでアゴを砕かれ、病院送りにされたんだぞ」 「自業自得でしょう」クリアウォーターの口調は冷たい。 「そもそも階級からして、ニイガタ少尉の方が、バドラー曹長やその同行者よりも格上でした。道義上から見ても、また軍隊での慣習から言っても、バドラーたちはニイガタに従うのが道理だったはず。階級章の見分けもつかないくらいに酔っていたとはいえ、二人がかりで殴りかかるなんて、言語道断もいいところです」  まして、と赤毛の少佐は恐れる様子もなくW将軍の目を見つめる。 「日系人たちが最も嫌う『ジャップ』という罵りを、バドラーたちはニイガタに浴びせた。彼が怒るのも、当然です」 「貴官は、ニイガタ少尉の降格に反対だそうだな」 「ええ。彼は正しいことをした。それで罰せられるのは理不尽です」 「だが、民間検閲課の連中は、そうは思っておらん」  将軍はため息をつき、首を振った。 「他の部署の者もだ。彼らはニイガタ少尉を降格させるだけでなく、上司である君の責任についても問うべきだと、私に言ってきている。残念だが、その声は日ましに強まるばかりだ――彼らの意見は、こうだ。ダニエル・クリアウォーター少佐はBIJ(日本生まれ)であり、過度に日本人に同情的である。また密かに噂されている性癖が事実であれば、軍隊にいること自体が不適切ではないか、と」 「ではどうぞ、彼らの意見を聞いて、その通りにしてやって下さい」  クリアウォーターはそっけなく言った。 「ですが、ニイガタの降格に関してだけは、私は断固反対です」  その言葉を聞き終えた将軍は、苦笑に近い表情を浮かべた。 「貴官を軍法会議にかけるのは、悪手だな。なにせ、声高に貴官の責任を問う連中の何人かは、本国に妻子がありながら、日本人女性を事実上のセカンド・ワイフに迎えている身だ。貴官が万一、彼らの秘密を切り札として、表沙汰にした場合、参謀第二部やGHQそのものが、本国のメディアやフェミニストたちの槍玉に挙げられかねん」 「そのようなことは…」  反論しようとするクリアウォーターを、将軍は片手をあげて押しとどめる。赤毛の少佐に向けた目は、まるで教師が負けず嫌いの生徒を見るようだった。 「貴官は柔軟なようでいて、時々ひどく頑固だな、少佐。だが、自分の部下を徹底して守ろうとするその姿勢は、私も嫌いではない」  そう言って、将軍は冊子状に綴じられた紙の束を取り上げた。クリアウォーターが受け取ると、その表紙に『日米共同戦史編纂準備室・計画案』と記されてあった。 「貴官が所属する対敵諜報部隊(CIC)は、占領以来、多種多様の任務を果たしてきた。時に、憲兵隊などが行うべきことまで遂行したが、ようやく組織間で職務分担の境界が固まりつつある。しかし……各部局の職務が固定化されることは、決められた仕事だけしか権限と責任を負えないという欠点をもはらんでいる。その弊害を解消するために、私が考えついたのがだ」   W将軍は、熱心な口調で続けた。 「もちろん、戦史編纂などというのは隠れ蓑に過ぎん。新たに設立するこの部局は、私の直属で、対敵諜報部隊(CIC)では対処しきれない種類の案件を担当してもらうつもりだ。そして――」  W将軍は、鷹のような鋭い眼を向けて言った。 「その初代の長に――ダニエル・クリアウォーター少佐。貴官を任命したい」

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