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第三章(③)
カトウは針葉樹林の下生えに腹這いになり、動く敵に狙いを定めて、ガーランド銃の引き金を引き続けた。弾の無駄づかいはできない。ドイツ兵は防御を突破しようと、何度も接近を試みる。そのつど、カトウや他の日系兵の射撃の餌食になった。
戦闘の最中は、時間の感覚がなくなる。
たった五分の時間が、何時間にも感じられることがある。その逆も。気づくと、周囲が梢 の影もはっきり見えないくらいに暗くなっていた。
ーー元々、薄暗い森だけど、なんでこんなに暗いんだ? 雨か?
カトウは悪態をつき、一瞬、頭上に目を向けた。木々のすき間から見える空が、気づかぬ内に朱色に染まっている。すでに日暮れが近い時間になっていた。
その時、カトウの手元でカチリという音がした。ガーランド銃のクリップが空になったのだ。腰のカートリッジ・ベルトをまさぐって、カトウは舌打ちした。
しまった。今、差し込んでいるクリップが、最後のひとつだった。
「おい、誰か! クリップをまだ持ってるやつがいたら、貸して――」
カトウが言いかけ、一番近くにいた仲間が反応し、自分のベルトに手をやる。
その瞬間、斜め上方で雷のような音が轟いた。
砲弾が針葉樹に当たり、それを砕くと、無数の鋭い破片が地上めがけて降り注ぐ。「ツリー・バースト」と呼ばれるその木刃の雨は、日系二世 兵たちの間で砲弾と同じくらいに恐れられていた。
轟音を聞いたカトウは、とっさにその場で身体を丸めた。ヘルメットに、コートに、ガーランド銃の銃身に、飛来してきた木片がぶつかる。何千ものふぞろいな木の剣は、周りの地面に刺さり、石を穿つ勢いで弾け、ばらばらと音を立てた。ひときわ大きいカケラが、鈍い音を上げてカトウのすぐそばの地面にめり込む。見れば、砲弾の破片であった。
……短いが激烈な死の嵐がやみ、カトウはようやく顔を上げた。
視線の先で、先ほどカトウの声に応じた日系兵がうつぶせで倒れていた。ヘルメットが、奇妙な形にひしゃげている。目をこらすと、その頭頂から砲弾のものらしい鉄のカケラが突きだしていた。
無駄と知りつつ、それでもカトウはかすれた声で「衛生兵 !」と叫んだ。
だが、誰も来ない。カトウは、這うようにその兵士のそばに歩み寄った。ゆさぶって、名前を呼んだが、返事はない。鉄片はよほど鋭かったらしい。兵士の頭蓋を豆腐のように切り裂いて、鼻の穴から先端をのぞかせていた。
それを目にしたカトウは、ひくっと、しゃくり上げた。
けれどもわめくより先に、すぐそばで何発もの弾がはじけた。カトウは仲間の死体を放り出し、伏せた。もっとも起こって欲しくない事態が、起こりつつあった。
ドイツ兵たちが、突破を成功させるべく、何度目かの攻撃を試みようとしていた。
ただひとつの手りゅう弾はとっくの昔に、敵に投げつけていた。
カトウは放り出した仲間の亡骸に手を伸ばした。最後に見た彼の顔も、そこからつき出した鉄片のことも、頭にはない。あるのは、もう死者には不要のもの。ガーランド銃のクリップのことだけだった。
だがねばつく血のせいで、うつぶせの死体のベルトから、クリップを中々うまく取り出せなかった。
――ちくしょう、ちくしょう。震えんなよ、手!
敵兵の形をした死が、近づいてくる。
カトウはパニックに飲みこまれそうになった。その時だ。
誰かがカトウのそばに勢いよくすべり込み、かまえたガーランド銃を立て続けに撃った。カトウの目に映ったのは、誰よりも信頼する戦友――ミナモリの姿だった。
ミナモリはそのまま、クリップが空になるまで撃ち、ドイツ兵の前進を阻む。そして新しいクリップを自分の銃につっこむと、うずくまるカトウにそれを差し出した。
目と目が合う。それだけで、カトウには十分だった。
言葉なんて必要ない。「ノッポ」と「チビ助」は二人で一人であり、その一人はここぞという時、抜群の能力を発揮する兵士だった。カトウは、震えが止まった手でミナモリのガーランド銃を構え、撃った。その間に、ミナモリがカトウのガーランド銃にクリップを装填する。そして、死んだ兵士のカートリッジ・ベルトから、最短時間で未使用のクリップを取り出した。
ミナモリがそばにいる。それだけでカトウの頭から、先ほどまでの恐怖がうそのように消えていた。
――守れ。戦え!!
カトウは狙いを定めて、撃ち続けた。
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