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第三章(⑦)
カトウの負った傷は、最初に思ったほど、軽くはなかった。
「おそらく跳弾だ」
止血のために縫合した傷口を軍医は指で示した。ちょうど鎖骨のすぐ下のあたりだ。
「左胸のここから入って、身体の外に出た形跡がない。つまり弾丸は、まだ君の身体の中だ」
「それって、まずいことですかね?」
軽い口調を装って聞くカトウに、軍医はあきれた目を向けた。
「まずいに決まっているだろう。すぐにでも、手術して取り出さないと…」
「でもあんまり痛くないんです。本当に」
カトウは真っ赤なうそをついた。時間が経って、だんだん痛みはひどくなってきた。でも、がまんできないほどではない。それに実際、身体に異変はほとんどない。動かすと痛みが走るが、両手も腕もまともに機能していた。
「怪我で後送される途中、捕虜になった連中もいます。今は、味方と一緒にいる方が安全ですって」
カトウはなお食い下がった。説得――というより、だだをこねること十五分。ついに軍医が折れた。
ほかの部隊と交替し、後方に行った時に必ず手術を受けること――その条件で、痛み止めのモルヒネを少量打たれ、カトウはようやく解放された。
自分の小隊のところへもどる途中で、ミナモリが探しに来てくれた。
「どうだった、アキラ?」
「大丈夫。ちょっと縫っただけで済んだ」
心配顔のミナモリに、カトウは軽く言った。少しだけ罪悪感をおぼえる。だが、本当のことは言えない。言えば、ミナモリは間違いなくギルに報告し、カトウの意志を無視して強制的に後方に送るに決まっているからだ。それは絶対にいやだ。今のこの戦況で、ミナモリと離れることがカトウには何よりいやだった。
ミナモリはそんなカトウの姿をじっと見下ろした。何か言いたげだ。
「何だよ?」
「あ、いや、たいしたことじゃないんだけど……」
珍しく、ミナモリが言いよどむ。ためらった末に、彼はようやく口を開いた。
「……昨日のこと」
「え?」
「お前が俺を心配して戻って来てくれた後で、その…」
ミナモリが何を言わんとしているか理解し、カトウは血が頭にのぼるのを感じた。
まずい。極めてまずい。今までカトウはミナモリに身体を密着させることを、あえて避けてきた。少なくとも、自分の方からは。ミナモリが友人としてハグしてくれる時も、うれしいのを押し殺して、表面上はつれない態度を取っていた。だから、ミナモリは多分、カトウが身体的接触を嫌がる男だと思っていたはずだ。
ところが昨日は。自制のタガが外れて、自分から抱きついてしまった。
――どう言いつくろえばいいんだ!?
本心を打ち明けることなど、絶対にできない。
とっさに言い訳が見つからず、みっともなく黙り込んだ時だった。
「…おう、チビ助。怪我はどんな具合だ?」
カトウは飛び上がった。一体、いつのまに背後まで忍び寄られたのか、例によってまったく分からなかった。ジョー・S・ギル大尉が、不機嫌な顔を下げてそこに突っ立っていた。
「! おかげさまで、たいしたことありませんでした!」
カトウは胸をなでおろした。この時に限って、ギルの凶悪な顔が救いの天使のそれに見えた。
「本当か?」
ギルが切れ長の眼を細める。正直、それだけで肝の小さい人間は震えあがってしまうだろうし、小さい子どもなら泣き出しそうだ。それほど、兇悪なオーラを放っていた。
カトウは、首を不必要なほど何度も上下させた。
「――分かった。二人とも、ついて来い」
いつもの有無を言わせぬ声だが――一瞬、そこに微量の疲労がにじんだように、カトウには感じられた。
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