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第三章(⑧)
大隊本部のテントの外には、すでに三人の兵士が集められていた。カトウとミナモリが合流したところで、ギルは初めて、一般の兵士に伏せられていた現状を説明し始めた。
「――三日前のことだ。友軍の第百四十一連隊の第一大隊が、ここから約七キロ先の森の中で孤立し、ドイツ軍に包囲された。近くに池があって水を補給できるおかげで、大隊の連中はかろうじてまだ持ちこたえている。だが、けが人が大勢出ていて、うかつに動けない状態だ」
数時間前に入った通信によれば、生存者は二百名以上いるそうである。ただし手を打たなければ、全滅するのは時間の問題だった。
「そこで司令官のD将軍が、俺たちの連隊に救出の任務を命じた。結果は……てめえらも知っての通りだ。ドイツ野郎どものクソ固い防御を、まだ突破できずにいる」
ギルは集まった部下たちの顔を、一人一人眺めた。
「お前たちをここに呼んだのは、他でもない。これから夜間敵中偵察を行う。どんなに防御を固めても、陣には必ず弱い部分や抜け道がある。俺たちの仕事は、ドイツ軍の死角をくぐり抜けて、包囲された味方の大隊のところまでたどりつく、その道を見つけることだ。――道が見つかれば、明日の朝、それと反対方向から大隊長のS少佐が攻撃を行わせる。もちろん陽動だ。ドイツ軍の目がそちらに向かい、防備がおろそかになったすきに、その道から包囲されている連中を救出する」
ギルは口元をゆがめた。
「知ってると思うが。夜間の敵中偵察はクソ危険な仕事だ。夜の森のどこに、ドイツ野郎がタコツボを掘って寝てるか、俺にも分からん。へたを打てば、この場にいる全員が殺される。そういうクソな仕事だ――やりたくない奴は今、正直に手を上げろ。外してやる」
ギルは十秒ほど待った。誰一人、手を上げる者はいなかった。兇悪な面構えの大尉は、歯をむきだしにして笑った。
「ありがとな。よし、五分で準備しろ」
解散を命じかけた時、五人の内の一人が口を開いた。
「――待ってください、大尉。ひとつだけ、提案を聞いていただけますか?」
「何だ、言ってみろ、ミナモリ」
「その。包囲された大隊に運よく到達できたら。その時、彼らに……」
一瞬、ミナモリは言いよどんだが、すぐに意を決した顔つきで言った。
「彼らに、ドイツ軍への投降をうながしては、どうでしょうか?」
全員がぎょっとした顔で、ミナモリを見つめる。カトウも。ギルでさえ一瞬、口をあんぐり開けた。だが、すぐに殺気のこもった視線をミナモリに向けた。
「ミナモリ。てめえ、自分が何を言っているか、分かってんのか?」
「分かっているつもりです」
「三日間、必死で持ちこたえた連中の前にのこのこ現れて、味方がついに現れたとぬか喜びさせた挙句、そいつらに敵の捕虜になれって言うのか?」
「その通りです」
「連中にぶっ殺されるぞ」ギルは吐き捨てた。
「………説明しやがれ」
「食糧も、武器も、医薬品も補給されないまま、すでに三日が経過しています。その状態じゃ、あと一日だって待てない。けれども俺たちが確実に彼らを救出できるかさえ、まだ分からない。おそらく、これから数時間経つごとに、死者がどんどん増えていくでしょう」
「……クソ正しいな、てめえの言うことは。それで?」
「俺たちの救出作戦が失敗すれば、彼らはまた待たないといけない。今日、手当を受ければ助かったかもしれない奴が、間に合わずに死ぬかもしれない」
「………」
ミナモリはギルの黒い瞳を、真正面から見つめた。
「ギル大尉。俺は生きて、戦場 から帰りたい」
抑制された穏やかな声。だが、それは二十一歳の青年の、心からの叫びだった。
「自分の仲間全員に、生きて故郷に、家族のもとに帰って欲しい。その気持ちは、誰だって同じじゃないですか?」
黙って聞いていたギルが、やっと沈黙を破った。
「……助かる可能性がまだ高いから。連中を、ドイツ野郎どもの手に委ねろと?」
「包囲されてからの三日間、彼らは勇敢に持ちこたえた。捕虜になっても、何も恥じることはない。死んだ英雄になるより、生きた英雄として帰れるなら、そっちの方がいいに決まっている」
ミナモリは言い終えて、口を閉ざした。皆がかたずを飲んで、ギルを見つめた。特にこめかみのあたりを。
予想外にも、それはぴくりとも動かなかった。
「……あとでばれたら、俺の提案だったと言え。ミナモリ」
ギルは静かな声で命じた。
「そのかわり、包囲された連中の説得にはてめえが当たれ。いいな?」
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