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第四章(⑤)
クリアウォーターはキッチンとひと続きになった居間を抜け、廊下をはさんだ小図書室にヤコブソンを招き入れた。そしてソファを指さし、部下に座るように命じると、自分も対面の肘掛け椅子に腰をおろした。
「君らしくもない失敗だな、ジョン」
クリアウォーターの言葉に、ヤコブソンは恥じ入るようにうつむいた。
大男のジョン・ヤコブソン軍曹は、U機関 のメンバーの中では実は最年少で、二十二歳になったばかりだ。アーカンソー州の農家出身の青年は、五人の男子と二人の女子からなる七人兄弟の末っ子で、戦争中は本人を含む男兄弟全員がアメリカ陸軍の兵士としてヨーロッパと太平洋戦線で戦った。
そして戦争が終わるまでに、二人の兄が戦死した。
一人はルソン島、もう一人は沖縄で――どちらも日本軍との戦闘の最中の出来事だった。
息子二人の戦死通知を立て続けに受け取った母親は半狂乱になり、「日本人は絶滅させるべきよ!」と叫んだという。
同じ頃、ヤコブソン家の末っ子ジョンはアメリカ第八軍の歩兵師団にいた。訓練を終えたばかりの新兵であったが、他人に無い特異な才能を評価され、抜擢されて師団本部で働くことになった。それが七月のことである。
当時、すでにアメリカは日本本土への上陸するための「ダウンフォール 作戦」の準備を着々と進めており、もしも作戦が実行されていれば、ジョン・ヤコブソンも横須賀か東京湾方面からの上陸作戦に加わっていたはずだ。ところが、八月に入って日本が無条件降伏を受け入れたことで、戦うことなく横浜から上陸することになった。
敵であった日本人に対するアメリカ兵の思いは、それこそ十人十色だ。ただ、女性と子どもに対しては、概して好意的な者が多い。それでも何かの拍子に、普段、表に出ない憎悪や憎しみ、また差別意識が表に出ることは後を絶たない。
ヤコブソンが日本人と同じ外貌を持つ日系二世 たちに対して、複雑な思いを持っていることにクリアウォーターも気づいていた。ただ、彼の名誉のために言えば、そのことでこれまで、問題を起こしたことはなかったのも事実だ。
――むしろ、これはいい機会かもしれない。
クリアウォーターはそう考え、口を開いた。
「まずは基本的な確認からだ、ヤコブソン」
金髪の大男の注意がこちらに向けられるのを確認し、クリアウォーターは続けた。
「ササキやカトウたち日系二世 は、日本人ではない。いかなるルーツを持っていようとも、アメリカで生まれた彼らジャパニーズ・アメリカンは、我々と同じく市民権を持ったアメリカ市民だ」
「……その通りです」消え入りそうな声で、ヤコブソンは同意した。
「日系二世は戦争中、社会から数多 の偏見にさらされ、差別を受けながらも、祖国のために大いに貢献をした。太平洋戦線では語学兵として各地で翻訳業務に携わり、最前線で危険な任務に就いた者も少なくない。そしてヨーロッパでは文字通りーー血を流して戦った」
……実際のところ、アメリカに住む日系二世すべてが、アメリカの戦争に参加することを無条件で受け入れたわけではない。一時期中断されていた日系人に対する徴兵が復活したあと、それを拒んで裁判にかけられ、投獄された日系二世もいる。またクリアウォーターが戦後に知ったことだが――開戦によってアメリカに戻る機会を失い、日本に取り残された者の中には、日本軍に徴集され、その兵士となった者もいた。
各人の置かれた運命。
さらにその過酷な運命に対して、果敢に示した意志。
それは日系二世 ひとりひとりで異なっている。
クリアウォーターやヤコブソンのような、アングロサクソン系の青年ひとりひとりが戦争に対して異なる反応を示したように。
しかし、クリアウォーターは敢えて、アメリカのために自らを捧げた者たちに話の焦点を絞った。
自らの身でもって、あるいは血と生命でもって、忠誠を証明せんとした日系人の若者たちが三万人以上いたーーその事実こそ、ヤコブソンに思い出してもらいたかった。
ササキやカトウ、そしてアイダやニイガタは、その内のひとりであり、クリアウォーターやヤコブソンと同じように、「アメリカ市民」として戦っていたことを。
クリアウォーターは、言葉を継いだ。
「さらにだ。過去にいかなる遺恨があろうとも、我々は現在、連合軍を代表し、日本の占領統治という職務についている。その責任の重さを自覚するならば、日本人を見下し、憎しみをかきたてるような言動は、厳 に慎んでもらわねば困る。無用な敵を増やすことほど、愚かなことはないからな」
クリアウォーターはそこでふっと息をつき、表情をゆるめた。
「人種差別のもたらす、最たる害悪は何だと思う?」
その意外なひと言に、ヤコブソンはとまどった視線を赤毛の上司に向ける。
「ーー私はね。際限のない無慈悲さと、自覚のない倨傲 だと思っている」
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