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第四章(⑪)

 二日酔いの頭で仕上げた英文は、自分でも分かるくらいひどい出来だった。カトウは気づいたミスを修正し、恐る恐るそれをニイガタの所で持っていく。  十五分後、ニイガタがカトウを手招きした。 「朱筆を入れたところを直して、持って来い」  ニイガタが言ったのは、それだけだった。珍しいことだ。いつもなら、雷のひとつやふたつ落ちてもおかしくない場面である。  カトウの表情に気づき、ニイガタは「ふん」と鼻をならした。 「妻のドロシーが断言していた。昨日の調子じゃ、今日は間違いなく欠勤すると。だが、お前はちゃんと来た。ーーその根性に免じて、今日は大目に見てやる。分かったら、さっさと修正してこい」  カトウが席に戻ると、ササキが「よかったのう」と声をかけてきた。カトウはぷいと顔をそむける。昨日、ササキにやられたイタズラを、まだ根に持っていた。 「ササキの奴も謝ったんだろう? 明日くらいには、許してやれよ」  昼休みに、アイダにゆるく諭されたので、とりあえずそうしようとは思っている。   そうこうするうちに、あっという間に夕方四時を過ぎた。どうにか、一日をしのぎきれそうである。やれやれ、と息をついた時、カトウはふと誰かに見られているような感じをおぼえた。何気なく、窓に目を向ける。  そして、そのまま固まってしまった。  窓の向こうの木の枝に、スケッチブックを抱えた人間が座りこんでいた。顔の左右の半面が、それぞれ天国と煉獄を象徴している男。トノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ伍長は、カトウと目が合って「にへっ」と笑い崩れた。  カトウの方はあやうく叫びかけて、寸前で声を呑み込んだ。 ーー下手に刺激したら、まずい。ここは二階だ。  ところが、である。 「ん? どないしたんじゃ?」  よりにもよって、対面に座るササキがカトウの様子に不審を抱いた。同僚の視線をたどって、背後を振り返る。  そこで、のぞき魔の存在に気づいた。 「うおっ! 何しとんじゃ、あいつ!!」  素っ頓狂な声に、ニイガタとアイダが同時に窓の方に顔を向けた。  四人の日系二世の反応に、窓の外にいるフェルミが慌てだした。「怒られる」と思ったのだろう。膝に置いていたスケッチブックを抱え、あたふた逃げ出そうとする。しかし、彼がいるのは不安定な枝の上だ。  後退しかけたフェルミの身体が、カトウたちの見ている前でぐらりと傾き、その視界からかき消えた。 「ーー落ちたぞ!!」  血相を変え、窓に駆け寄ったカトウがそれを押し開ける。後ろにササキも続く。 「----いや、まだ無事です!!」   二人の目に飛び込んできたのは、両手で必死に枝にしがみつくフェルミ伍長の姿だった。

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