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第五章(①)

 カトウの住む「(あけぼの)ビルヂング」は、昭和初めに建てた和洋折衷のアパートで、空襲による焼失を免れた後、米軍に接収されて独身下士官たちの寮となった。元々は、都内の貿易会社が職員を住まわせるために建てたものだという。  現在の入居者は、大半が占領軍で働く日系二世(ニセイ)たちで占められている。その中には、U機関(ユニット・ユー)のメンバーであるアイダとササキも含まれていた。宿舎の隣には、杉原(すぎわら)という管理人の一家が住んでおり、朝食と夕食はもちろん、頼めば昼食も作ってくれるので、U機関の三人は昼休みはたいていここで食事を済ませた。  カトウは正午前に曙ビルヂングに戻った。普段の昼食時より少し早かったが、すでに食堂には香ばしい匂いが漂っていた。昔、帝国海軍の炊事兵だったという主人お手製のカレーだ。できたてのルーと炊き立てのご飯を漬物と一緒にかきこむ。おかわりして、ふた皿分たいらげる頃には、気分もずい分ましになった。  昼食を終えたカトウは、二階の自室に上がった。部屋は日本風に言えば八畳ほどの広さで、室内はすべて板張りである。物入れ(ロッカー)から帆布のカバンを取り出すと、カトウはそれをベッドの上に広げ、出張の準備を始めた。といっても、一泊の予定である。着がえや洗面用具、筆記用具、和英辞書に、荻窪駅前のヤミ市で手に入れた夏目漱石の本をカバンにつめるのに、十分もかからなかった。重さは三キロ程度。三年前の今頃、この七八倍の重さはある背嚢を背負って毎日のように行軍訓練していたことを思えば、ずい分な軽さだ。  カバンの口を閉め、腕時計を見ると、まだ十二時半になったばかりだった。 「……掃除しておくか」  カトウは物入れを開けた。取り出したのはホウキとチリトリ――ではなく、ブラシとオイルの入った小瓶、前に取って置いた古新聞と、古い下着をハサミで切ってつくったボロ布である。机にそれらを並べたカトウは、腰のベルトから四十五口径を取りだすと、広げた新聞の上で手際よく分解しはじめた。  オイルの鼻につく臭いが、記憶を刺激する。  ヨーロッパにいた頃、カトウはひまさえあればガーランド銃の掃除をしていた。手入れを怠れば、動作不良につながりかねない。交戦中の兵士にとって、自分の銃が弾丸を吐き出さないことほど恐ろしいことはない。だから、武器は丁寧に手入れする。特にカトウは、神経質なほどに銃を万全にしておくことにこだわった。時々、それをからかう仲間もいた。けれども、カトウは彼らを無視して、まるで博物館に展示するかのように、銃の外も中もピカピカに磨き上げた。そのため、いまだに目をつぶっていても解体して組み立てる自信があった。 ーー思い返せば。今までずい分、色々な種類の武器に触れたな。  ガーランド銃。トミー・ガン。四十五口径。手りゅう弾。機関銃。迫撃砲。対戦車バズーカ……ーー別に、戦場がなつかしいわけではない。むしろ、最低最悪の場所だと、当時も今も思っている。いまだにそこを夢を見ては、うなされる身だ。  でも、そこには同じ苦労を共にする仲間がいた。  カトウが人生で、ほとんど初めて得た友人たち。  そして何よりーーハリー・トオル・ミナモリがいた。  戦闘と戦闘の合間の休息の時間、カトウはいつだってミナモリの隣に座って、ガーランド銃を掃除したり、煙草を喫いながら、たわいもない会話を交わしていた。  目を閉じれば、今も思い浮かべることができる。  ミナモリは戦場でも、本を読んでいた。アメリカ軍は前線の兵士に、「兵隊文庫」と呼ばれるポケットに入るサイズの携帯用の本を支給していた。当時、今以上に英文が苦手だったカトウは敬遠していたが、ミナモリは時々、内容を上手に要約して頭の悪い友人(カトウ)に語ってくれたものだ。  それがどれ程、かけがえのない貴重な時間であったか。  悔やんでも悔やみきれないことに、それを失うまで、カトウは本当の意味で理解していなかった。

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