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第五章(④)

 徴兵された後、トラック運転手になれたのは運が良かったと、ニッカーは言った。 「もちろん、気の滅入ることもあったよ。一番、最悪だったのは、味方の死体をたくさん積んで、後方に送った時だ。いまだに夢に見る」 「……」 「お前さんはそんなことはないか、ジョージ?」  ハードボイルドを気取って、首を横に振ることだってできた。でもカトウは正直に答えた。 「……時々ある」  鬱蒼と葉のしげる森を、薄い煙を上げる荒野を、砲弾で廃墟と化した(むら)をーー手足や頭を欠き、腹から長い腸を垂らして、泥や灰まみれで徘徊する死者たちの夢。  あるいはミナモリを失ったあの夜の夢。  彼らは、いつだって声なき声でいざなう。 ーーこっち(彼岸)に、来ればいい。  その誘惑にカトウが屈しなかったのは、心の強い人間だったからではない。その逆だ。  たんに、勇気がなかったのだ。  ドイツ兵たちにあれほど浴びせた銃弾の一発を、自分の空っぽな頭に向ける勇気が。  ミナモリを失ったあの夜に、カトウは生きる目的や意欲も失った。  それでも、今日まで生きてきたのはーー自殺するだけの気概がなかったから。  今だって。特別、生きていたいわけじゃない。でも、自分で終わらせることもできない。  そんな情けない中途半端な人間ーーそれが、自分。  ジョージ・アキラ・カトウ。あるいは加藤明(かとうあきら)という、日本育ちの日系アメリカ人の正体だ。  不意に、カトウは髪の毛をくしゃくしゃとひっかき回された。 「…何すんだ」 「おお。予想通り、女みたいに細い髪だな」 「うるさい」  コンプレックスをまた一つ、マイルドにえぐられた。  カトウの視線の先で、ニッカーはタバコを口の端にくわえたまま口元をつり上げた。 「悪いな。お前さん、死んだダチにちょっと似てんだ」 「……それはまた、不吉なことで」 「自殺したんだよ」  カトウは言葉を失った。 「せっかく、クソったれな戦場から生きて帰ったのに、半年後にピストルで自分の頭を撃ちやがった――バカだろう? 人生、これからだったてのに……」  酒、煙草、女に車。エトセトラ。エトセトラ……ーーニッカーは指を折って、数え上げた。 「つらくなったら、ちょっとバスに乗って、母さん(ママ)の手料理を食べに帰ればいい。それが無理なら、気の合う連中と飲みに行けばいい。人といること自体がいやなら、暖かい所に行って一日ぼうっと釣りをすればいいーーその気になりさえすれば。いくらだって楽しみは見つかるんだぜ、ジョージ。お前さんは、そのへんが下手そうだから言っとくよーー」  ニッカーは、キラキラした水色の眼を細めた。 「もっと楽しめよ、人生」

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