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第五章(⑫)

 ……銃声の残響が、まだ耳にこだましている。  しかし誰かが草を踏んで近づく音を、カトウは聞き逃さなかった。トミー・ガンの銃口を、音のした方へ向ける。 「撃つな!」という英語のささやきに、カトウは銃を下ろした。  月明かりを受けたクリアウォーターの赤毛は、古ぼけた二銭銅貨のような色に見えた。  その手には、四十五口径の拳銃がしっかりと握られていた。 「止まれ!」カトウはいつになく鋭い声で言った。  神経を、襲撃者たちの逃げた方向に集中させる。土手の上に人影はない。人の気配もしない。それでも当然、警戒をゆるめなかった。  カトウはゆっくり後ずさり、クリアウォーターのそばまで来ると、上官の顔も見ずにつぶやいた。 「なんで戻って来たんですか?」 「…ヤコブソンが撃たれた」  カトウは口を閉ざした。クリアウォーターに合図し、二人でゆっくり後退する。  五分ほどで、ヤコブソンとそしてニッカーのいるところまで、たどり着いた。  ヤコブソンは、夜目にも分かるくらいに顔が青ざめていた。  自分の右手で左腕を押さえ、左手に握ったハンカチで、地面に横たわるニッカーの咽喉(のど)を押さえている。大男の左手は、自分の血と同僚の血で赤く濡れそぼっていた。  クリアウォーターは何も言わずに、ニッカーのそばにひざをついた。  見開かれたままのニッカーの水色の眼は、今やガラス玉のように見えた。  すでに呼吸も脈もない。  身体は徐々に体温を失いつつあった。 「……もういい。ヤコブソン」 「でも……」  大柄な青年が、うつろな目で救いを求めるようにクリアウォーターを見つめる。クリアウォーターは、首を振ることでしか、応えることができなかった。 「ーーいいんだ。もう、十分だ」  血みどろのヤコブソンの手をつかみ、ニッカーの咽喉(のど)から離させる。それから、二度と起き上がることのない部下のまぶたに手をやり、そっと閉じさせてやった。  カトウが警戒に当たるそばで、クリアウォーターはヤコブソンの傷をあらためた。 「撃たれたのは、左上腕だけか」 「……多分」  クリアウォーターはナイフを使い、ヤコブソンの血まみれの左そでを切り裂いた。傷口を確かめると、「がまんだ」と言って、取り出した自分のハンカチを容赦なく傷口に突っ込んだ。  ヤコブソンは痛みで涙目になったが、それでも悲鳴を洩らさなかった。クリアウォーターはさらにハンカチを押し込んで傷口をふさぎ、その上から切り裂いたそでを包帯がわりに巻きつけた。  応急措置が済むと、クリアウォーターは部下を引き連れ、里山を目指して歩き出した。  死んだニッカーは、クリアウォーターが背負った。ヤコブソンは自力で歩き、しんがりはカトウがつとめる。  幸い襲撃を受けることなく、三人はそこに無事、辿りついた。

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