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第五章(⑮)

 U機関(ユニット・ユー)所属のスティーヴ・サンダース中尉が東京から襲撃現場に駆けつけたのは、夜の十一時をまわった頃だった。  すでに現場は横浜の対敵諜報部隊(CIC)支部によって封鎖が完了し、その周囲を神奈川県警の警官たちが厳重に取り囲んでいる。強力な投光器で、あたりは昼間のように明るく照らされていた。忙しく動き回る兵士たちの間をぬって早足でやって来たサンダースを見つけ、クリアウォーターは軽く手を上げた。 「こんな夜中に、来てくれて感謝する」 「……どういたしまして」  サンダースは慇懃(いんぎん)に答える。眼鏡の奥からクリアウォーターの姿を眺め、眉をしかめた。 「まったく、ひどいなりですね。泥まみれじゃないですか。お怪我は?」 「なに。軽い打撲と、頭にこぶができたくらいだ。見た目ほど、ひどくはないよ」 「ヤコブソン軍曹は?」 「病院に搬送された。つい先ほど連絡があってね。感染症さえ引き起こさなければ、命に別状はないそうだ」 「よかった」心からサンダースはつぶやき、それから沈痛な眼差しを向けた。 「ニッカー軍曹のことは残念でした」 「……遺族には、私から手紙を書く。それが、せめてもの礼儀だ」  クリアウォーターの緑の両眼に一瞬、激情が松明の炎のように燃え上がる。 「襲撃者たちには、必ず裁きを受けさせる。必ずだ」  その言葉に、サンダースは無言でうなずいた。  --救援を求めに行ったカトウは無事に集落の駐在所までたどりつき、そこで電話を借りてサンダースと連絡を取ることができたのである。  残業して仕事を片づけていたサンダースは、八時近くになっても鎌倉到着の報せがないことに不機嫌になっていた。きっと、連絡を入れるのを忘れるなーーそう思っていた矢先に、電話が鳴ったのである。  電話口でカトウの話を聞いて、サンダースは仰天した。だが、すぐさま冷静さを取り戻すと、急いで自分の役目を果たすべく、行動を開始した。  幸いなことに、サンダースは午後の会議の場で、参謀第二部(G2)のW将軍がその夜に都内の山王ホテルで日本人の大物政治家と会うことを偶然、耳に挟んでいた。その甲斐(かい)あって、ホテルに緊急連絡を入れてまもなく、W将軍を電話口に呼び出すことに成功したのである。 ーーU機関のクリアウォーター少佐および部下三名の乗ったジープが、爆弾テロに遭遇。さらに連続して銃撃を受け、一名が死亡、一名が負傷――  そのことを知ったW将軍は、即座に横浜の対敵諜報部隊(CIC)支部および日本警察を動かして、クリアウォーターたちの救援に向かわせたのである。 ーーーーーー  サンダースは土手の上から、田んぼに横倒しになったジープを見下ろした。 「あの惨状で、よく軽傷で済みましたね」 「ニッカー軍曹のおかげだよ」  サンダースの横で、クリアウォーターが言った。 「爆発に巻き込まれたジープは垂直に落下せずに、土手を滑落(かつらく)していった。ニッカーが最後までハンドルを握って、運転をあきらめなかったからだ」  聞き終えたサンダースは軍帽を取り、胸の前で十字を切った。熱心なカトリック(旧教)の信者である、インド人の祖母から受け継いだ習慣だ。  サムエル・ニッカー軍曹はサンダースの基準からすると、仕事熱心とは言い難い男で、勤務時間中に何かにつけては、煙草を()いに行く悪癖があった。サンダースは時々、そのことで説教を垂れていたが、本人は一向に悪びれず、クリアウォーターが大目に見ていたこともあって、その悪習が改善されることはなかった。  しかし、そのニッカーは一番大事な瞬間に、誰にも真似できぬ仕事をやってのけたのだ。  制御を失いかけるジープを操縦し、クリアウォーターと仲間を生還させるという仕事を。  ジープを見下ろすクリアウォーターが事務的な口調で告げる。 「すでに五人の射殺体が回収された。全員、日本人のようだ。さらに土手の上から、爆弾の残骸が見つかった」 「まったく。いったいどこの命知らずが、こんな真似を……」 「さてな」  クリアウォーターは、赤毛をやや乱暴な手つきでかきあげた。 「少なくとも。」  静かに怒りに燃えていたサンダースは、最初、クリアウォーターの言葉の真意をうまくのみこめなかった。数秒して、インド人の血を引く青年士官は、凍りついた目で隣に立つ上官を見つめた。  ダークブラウンの眼に、驚愕と混乱、そしてかすかな恐怖が浮かんでいる。それを認めたクリアウォーターは、穏やかにーーしかし有無を言わせぬ声で副官に告げた。 「スティーヴ。今、君が気づいたことは、まだ胸にしまっておいてくれ。他言無用だ」 「……承知しました」  サンダースは固い表情で約束した。  

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