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第五章(⑰)

 四人の兵士と同数のガーランド銃を載せたジープを護衛につけ、クリアウォーターたちは出発した。宿舎までは十五分。その間、何事も起らず、一行は無事にそこにたどり着いた。  深夜ということもあって、建物も周辺も静まりかえっている。二台のジープのエンジンとヘッドライトだけが、闇の中でひどく際立っていた。 「明日……ではなく、もう今日ですね。午前八時に迎えに来ます」  サンダースの言葉に、クリアウォーターは首を振る。 「それだと少々、遅すぎる。七時で、頼む」 「…分かりました。それでは七時に」 「それ以前でも。何か動きがあったら、すぐに連絡してくれ」 「了解です」    排気管をふるわせ、二台のジープは走り去っていった。あとにはクリアウォーターとカトウだけが残された。  連絡を受けてやって来た当直の兵士は、泥まみれの赤毛の少佐と、返り血だらけの日系人軍曹の姿に、さすがにぎょっとしたようだった。しかし、すぐに顔を引きしめて二人に敬礼すると、宿舎の中に招き入れた。  兵士はクリアウォーターとカトウに、ひとつずつ鍵を手わたした。別々の部屋だ。着替えはあいにくシャツとズボンだけだったが、明日までに一揃(ひとそろ)えの軍服を必ず用意すると約束してくれた。  二人があてがわれた部屋は角部屋で、廊下をはさんで向かい合わせになっていた。そこに来るまでの間、クリアウォーターもカトウも、どちらも口をきかなかった。だが部屋の前まで来た時、クリアウォーターがそれまでの沈黙を破って、やっと「カトウ」と呼びかけた。  カトウが、無言でクリアウォーターを見上げる。暗がりの中で、細いうなじと形のよいあごが白く浮かんでいる。カトウの黒い瞳は、この時、夜の河面のように見えた。吸い込まれるような静けさをたたえて、かすかに揺れている。  クリアウォーターは一瞬、猛烈に口づけたくなる。しかし、寸前のところで思いとどまった。 「――明日から忙しくなる。シャワーを浴びたら、すぐに休みなさい」 「イエス・サー」 「…おやすみ」  カトウがかすかにうなずいて、クリアウォーターに背を向ける。  背後で扉が開き、そして閉まる。それを聞き届けた後、クリアウォーターはようやく自分の部屋の鍵を回した。 ーーーーーーーーーー  扉の内側では、カトウがそれに寄りかかったまま、ずるずると床にしゃがみこんだ。  久方ぶりに味わう気だるい感覚。  アドレナリンが切れた反動だ。  視界が、ゆらゆらとゆっくり回り始める。身体が動かない。何も考えられない。先ほどまでいた襲撃の現場で、救援に来てくれた兵士から携帯食をもらったが、食べなくて正解だ。今の状態では、きっと吐いてもどしてしまったに違いない。  カトウは床に横たわって目を閉じる。そのまま吐き気が去るのを、じっと耐えて待った。  ……一体、どれくらい時間が経っただろうか。  どこかで扉が閉まる音がして、カトウは目を開いた。周りはまだ暗いままだ。  よろよろと立ち上がり、電灯のスイッチを入れる。腕時計を見ると、一時を指していた。  床に落ちていた着替えを拾い集めると、カトウはきしむ身体を引きずって、廊下に出た。  浴室は、かすかに湯気がただよい、石鹸のかおりがした。クリアウォーターが先ほどまで、シャワーを浴びていたのだろう。  脱衣所の隅で、カトウは血のこびりついた軍服を乱暴に脱ぎ捨てた。  シャワールームに入り、カトウは水道の栓をひねった。なまぬるい湯が、髪と身体を濡らしていく。湯をすくって、カトウは口の中をゆすいだ。  それを吐き出した時、突然ニッカーのことが頭に浮かんだ。  普段、それほど親しくしていたわけではない。廊下ですれちがった時に、挨拶をかわすほどの関係だった。少し長く話をしたのは、本当に昨日の夕方がはじめてだった。  そう、ほんの九時間前のことだ。煙草をふかして、母親の話をカトウに打ち明けた男は、今や死体となって、どこかの霊安室に横たわっている。 ――あと数秒早く警告していれば。 ーーそれより、もっと強引に引き留めていれば。  光を失ったニッカーの水色の眼が、まだまぶたの奥にこびりついている。それをこそげ落とそうとすると、今度は別の顔が浮かんだ。  ひきつった表情で、マシンガンを構える日本人の男。  だが、引き金を引いたのはカトウの方が早く、狙いも非情なほどに正確だった。  熟れた石榴(ざくろ)のように青年の頭がはじけとび、カトウはその飛沫を浴びる。頬を濡らした血と脳漿は、ちょうど今、浴びているシャワーと同じくらいの温度だ――。  吐き気がこみ上げてきて、カトウは固いタイルの上に両膝をついた。えずくが、出てくるのは胃液ばかりだ。寒気が背筋をかけぬけ、身体がしだいに熱を失っていくのが分かった。 ーー冷たい。  いつの間にか、頭上から降り注ぐ液体は、完全な冷水に変わっていた。    手を伸ばして蛇口を閉めたあとも、カトウはずぶ濡れのまま、しばらくそこから動けなかった。

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