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第六章(①)
トン、トン、トン。誰かがドアをノックする音が聞こえた時、クリアウォーターはまだ夢の領地をさまよっていた。
そこで彼は十九歳の青年に戻っていた。
「――ようこそお越しくださいました、ダニエルさま。わたくしが、この邸で執事を務めるアルバートでございます」
大英帝国の心臓、グレート・ブリテン島の北部スコットランド。エジンバラ郊外の片田舎に存在する母の実家にたどり着いたのは、大学に進学する年の夏のことだ。
クリアウォーターにとって「祖父の代から家に仕える執事」なぞ前世紀の遺物であり、それがまだ二本足で歩いていること自体、軽く驚きだった。
一方、あとで聞いたところでは、齢 六十五の執事アルバートは会った瞬間に決意したそうである。
ーー大西洋の彼方から上陸してきた田舎者丸出しの「ヤンキー・ボーイ」を、せめて人前に出せるくらいの紳士 に教育することが、自分のこの夏の務めであると--
トン、トン、トン。毎朝、きっかり七時にアルバートはドアをノックする。
その時間に、クリアウォーターはたいてい起きて、年代物のベッドで昨晩持ち込んだ本を読んでいる。邸で迎えた最初の朝、アルバートが来るより先に起き出して、控えめに苦言を呈されたからだ。
ーー曰 く、主人たるものは使用人たちが朝食の準備を整えるまで、寝室でおとなしくしておくものだ、とーー。
トン、トン、トン。眉根を寄せて、クリアウォーターは目を開けた。
その瞬間、夢はシャボン玉のようにはじけて消えた。固いマットレス。安物のカーテン。装飾のない狭苦しい部屋。そこで自分が十九歳の学生ではなく、三十二歳のアメリカ陸軍少佐であることを思い出す。
同時に、自分がひとりで朝を迎えたわけでないことも。
ある意味、見慣れた光景だ。一夜を共にした相手と同じベッドで目を覚ます。新しい関係の始まりであることもあれば、別れのひとときであることもある。今はまだ、どちらか分からない。クリアウォーターは期待と不安のまじった眼差しで、かたわらで眠るカトウを眺め、投げ出されたその手に自分の手をそっと重ねた。
そして四度目のノックを聞くより先に、「今開ける」とドアに向かって声をかけた。
床に散らばったシャツとズボンを身につけて扉を開けると、彼の副官が仏頂面を下げて立っていた。
「よく眠れたようですね」
皮肉か冗談か分からぬ口調で、サンダース中尉は言った。
「まあね。何時だい?」
「八時です」
「くそ !」
すでに墓に入ったアルバートが聞いたら、襟を正して説教しに来そうな悪態をついた。
「昨夜から、何か進展は?」
「ほとんどありません。襲撃者たちは、まんまと包囲の外に逃げおおせたようです」
サンダースは冷静な口調で答えた。
「十時頃に、参謀第二部 のW将軍が現場に到着されて、現場検証に立ち会うそうです。一時間前に着けば問題ないでしょう。あと四十五分で、身支度と食事を終えてください」
てきぱき指示し、軍服の一揃えをクリアウォーターに手わたす。それから、背後の部屋を肩で示した。
「昨晩最大の功労者は、ずい分疲れているようですね。ノックしても、返事がありません。いかがします?」
「ああ。そうだな……」
言いよどむ上官に、サンダースは怪訝 な顔になる。その直後ーーー。
「―――っくしゅん」
ベッドの方から、すばらしいタイミングでくしゃみが上がった。
サンダースの頭上に黒雲が湧くのを、クリアウォーターはたしかに見た。さすがだ。だてに四年も、クリアウォーターの部下を務めているわけではない。くしゃみひとつで、生真面目な副官は事の顛末 を、過不足なく正確につかんでのけたのである。
「あなたという人は……!!」
ところが、わめきかけたところで、適当な表現が見つからなかったらしく、サンダースは言葉を失った。その絶妙なタイミングを突いて、クリアウォーターは副官を廊下に押し出すと、ついでに手からカトウの分の軍服をひったくった。
「説教なら荻窪に帰ってから、存分に聞かせてくれ。今は何より、時間が貴重だ」
クリアウォーターはそう言って、反論が雨霰 と降り注ぐより先に、すばやく扉を閉めた。
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