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第六章(⑥)
セダンが停まったのは、横浜市内の某ホテルの前だった。
港湾都市横浜は、東京と同じく多数の建物がアメリカ軍による接収を受け、第八軍の司令部が置かれていた。
ホテルの一階にあるレストランに入ると、W将軍とクリアウォーターは個室に案内された。到着時刻が知らされていたようで、二人が椅子に座るとすぐに前菜とパン、それにスープが運ばれてきた。
「ーーさて。先刻の質問のおさらいだ」
W将軍はパンを手でちぎりながら言った。彼の副官がドアのすぐ外に控えているとはいえ、料理を運ぶ給仕が出入りする以外、余人を交えぬ空間が保たれていた。
「東京から鎌倉に向かう場合、横浜を経由した後は国道一号線を通って戸塚に出て、そのあと大船方面に向かうのが一般的に考えられるルートだ。少なくとも、私ならそうする」
その口調によどみはない。W将軍は東京、横浜、横須賀といった主要都市間の道路交通網と飛行場の位置をすべて記憶していた。
「ルートがおよそ分かっていれば、君を待ち伏せて爆殺することは十分に可能な話だ。君の乗った車の車種と、それがいつ頃、通りかかるかさえ知っていれば」
「――おっしゃる通りです」
「君が出張を決めたのはいつだ、少佐?」
「おととい。月曜日のことです、閣下」
「君の鎌倉出張を知っていた者は?」
「鎌倉警察の関係者。当日、私が泊まる予定だった宿舎の管理者。それから――」
緑色の眼が翳 る。それでも、クリアウォーターは、きっぱりと答えた。
「U機関 のメンバーーー私の部下たちです」
「……それが、私が君をここに呼びつけた理由だ、クリアウォーター少佐」
将軍は深々と息を吐き出した。
「こともあろうに。君を殺そうとした過激分子どもに、情報を流した裏切り者が、君の部下かもしれない。しかもその可能性は、決して小さくないときている――事件自体は、報道規制を敷いて押さえ込める。しかし、事件そのものをなかったことにはできん。裏切り者を野放しにしておくことは、なおのことだ――あまり、うまくないな」
最後のひと言は、前菜に対する感想だった。クリアウォーターは料理にまったく手をつけていないので、それが正当な評価か定かでなかった。
「閣下。私の方から、申し上げたいことがあります」
「言ってみろ」
「今回の事件の捜査は、対敵諜報部隊 のソコワスキー少佐が指揮を取っています。ですが、僭越 ながらーー私の部下の中に、裏切り者がいるかどうかの調査についてだけは、彼ではなく、私に一任していただけないでしょうか?」
W将軍は、即答しなかった。ちょうどそこに、メインの魚料理が運ばれてくる。給仕が出ていくのを見はからい、彼はナイフとフォークを取り上げた。
「ーー現在、U機関には何人の人間がいる?」
「私を除けば七人です、閣下」
答えたクリアウォーターの胸に、痛みが走る。
サムエル・ニッカー軍曹は昨晩、クリアウォーターの元を永久に去ってしまった。
残る部下たちの顔をひとりひとり、クリアウォーターは思い浮かべた。
スティーヴ・アートレーヤ・サンダース中尉。
ケンゾウ・ニイガタ少尉。
リチャード・ヒロユキ・アイダ准尉。
マックス・カジロ―・ササキ軍曹。
ジョージ・アキラ・カトウ軍曹。
ジョン・ヤコブソン軍曹。
トノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ伍長。
数年のつき合いの者もいれば、配属されてまだ数週間の者もいる。様々な理由でクリアウォーターの元に集った男たちは、等しく彼の大事な部下だった。
W将軍はあごに手を当てた。
「君の提案は両刃 の刃 だな、少佐」
将軍自身、クリアウォーターに裏切り者の調査をさせることを腹の中で考えていたのだろう。理由をすぐに列挙した。
「まず利点だ。君は君の部下たちを、誰よりよく知っている。また経歴等の基本的資料も、君の手元にある。彼らを調べる上で、君は最初から極めて有利な立場にあるし、内密に調査を進めることも十分に可能だろうーー君のその優れた捜査手腕をもってすれば」
「……」
「それに対し、欠点は一つだ。しかし、限りなく致命的なものだ」
将軍は射抜くような眼差 しを、クリアウォーターに向けた。
「私が知る限り、君ほど己 の部下を愛し、心を砕いて、大切にしている人間はいない。君は敵に対しては、十分に有能で冷徹になれる男だ。時には冷酷にも。しかし――己の部下に対して、君の目は鏡のように曇 りなくいられるかね? たとえ、かかっているのが、君自身の生命と名誉だとしてもだ」
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