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第六章(⑧)
W将軍との会見は、一時間にも満たないものだった。
食事が済むと、将軍は事件の経過を最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に報告するために、慌ただしく東京へ戻って行った。将軍の乗ったセダンを見送ったあと、クリアウォーターはホテルのフロントから電話をかけた。
幸い、最初の番号でサンダース中尉をつかまえることができた。
「今、ちょうどカトウが検査に行きました」
電話口でサンダースが報告する。サンダースはカトウと共に、ヤコブソンが入院した病院へ来ていた。
交通事故のたぐいは、その場で何ともないと思っても、あとから身体に色々な支障が出てくることも少なくない。まして、今回は爆弾の爆発とそれによって生じる爆風というおまけつきだ。クリアウォーターはサンダースを先に病院に向かわせる際、ヤコブソンの見舞いのついでに、カトウの身体に、事故と爆発の影響がないか、検査させるよう言っておいたのである。
「今から、そちらに向かう。W将軍がわざわざ護衛を手配してくれたから、出迎えは不要だ」
「分かりました。あと、ついでに予約を取っておきましたから」
「予約?」
「あなたの身体の検査の、ですよ」
「いや、私は何ともないから……」
クリアウォーターは病院という場所と、「検査」という言葉の組み合わせに、アレルギーにも似た反応を起こす性質 だった。
無情にも、サンダースに上官の意向をくみとる気配は微塵 もなかった。
「四時からですので、どうかくれぐれもお忘れないよう。あと、遅刻厳禁ですから……」
説教が続きそうな気配がしたので、クリアウォーターは急いで電話を切った。
ほどなく、クリアウォーターは横浜市内を流れる派大岡川近くの病院に到着した。手には、チョコレートの包みと雑誌。付近のPX (占領軍関係者に日用品や食品を販売する店)に寄って買った、ヤコブソンへの見舞い品だ。
病院の正門をくぐろうとした時、ちょうど一台のジープが近くで止まる。そこからスケッチブックを抱えた男が降りてくるのを認め、クリアウォーターは大声で呼びとめた。
「トノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ伍長!」
呼びかけを耳にしたフェルミがクリアウォーターを認めて、急停止した。
「あ、ダン!」
「ちゃんとたどり着けたようだね」
「うん。ダンに電話で言われた通り、横浜に行く対敵諜報部隊 の人のジープに乗せてもらった」
「よろしい。……ところで、その妙なお面はなんだい?」
フェルミは怪我で崩れた顔の左半面に、革でつくったらしいごつい仮面をつけていた。
いぶかしげな口調で指摘されたフェルミは、得意げに胸を張った。
「ぼくの顔見ると、みんな、ぎょっするでしょう。病院の人たちを驚かして、心臓麻痺とか起こされるとまずいから。最低限の礼儀 だよ」
「似合う?」と聞く相手に、クリアウォーターは曖昧な顔でうなずいた。
正直なところ、見るものを驚かせるという点で、素顔とあまり大差ない気がする。それでも本人が気に入っている様子ならば、あえてそれを指摘する必要もなかった。
フェルミを横浜まで呼び寄せたのは、ほかならぬクリアウォーターだった。
フェルミ伍長は、写真並みに精緻で、また内面を的確に捉えた人物を描くことができる。
そして、入院中のジョン・ヤコブソン軍曹は昨夜、襲撃者の顔を目撃している。二十二歳のアーカンソー州生まれの青年は、一度見たものを絶対に忘れないカメラ・アイの持ち主だ。
ーーこの二人が力を合せれば、逃げおおせた襲撃者たちの似顔絵を作ることができる。
そう考えたクリアウォーターは、早速フェルミを東京から横浜に呼び寄せたしだいだった。
病院の待合室に入ると、そこでサンダース中尉が二人を待っていた。合流し、ヤコブソンの病室へ向かう前に、三人は担当医のもとに行って話を聞いた。
「患者の容体は安定していますが、長時間の面会は負担になりますので。その点、注意してください」
担当の医師はてきぱきと説明した後で、見舞い客たちににたずねた。
「ところで、あなた方の血液型をお聞きしてもよろしいですか?」
昨夜、横浜市内で米軍車両が事故を起こし、複数の人間が緊急搬送された。負傷者たちの何人かは輸血が必要で、その際、かろうじて全員分の血をストックでまかなうことができたが、あいにくB型の血液が底を尽いてしまったという。
ヤコブソン軍曹の血液型はB型だ。そして、最低あと一度は手術が必要だった。
「不足分の血液は、他の病院から回してもらうよう手配していますがーーできれば、献血にご協力いただけませんかね」
三人は顔を見合わせた。あいにくクリアウォーターとサンダースはA型、フェルミはAB型だった。それを聞いた医者は残念そうに首を振り、そのまま一行を病室に案内した。
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