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第六章(⑪)

 ところがサンダースの方は、まだこの話題を蒸し返そうという雰囲気を漂わせていた。  カトウは先手を打って、逆に問いかけた。 「中尉はクリアウォーター少佐の部下になって、長いんですか?」 「ん?……ああ、かれこれ四年になる。あの人が、まだオーストラリアのブリスベンにあった連合軍翻訳通訳部(ATIS)の大尉だった頃からのつき合いだ」 「はたから見ていると、少佐と性格が合わずに、大変そうに見えますが。転属しようと思ったことはなかったんですか?」  カトウの言葉に、サンダースは眉間にしわを寄せる。  ややあって、生真面目な中尉は肩をすくめて、語り出した。 「――私は大学を卒業して、会計士になった。でも半年も経たない内に徴兵された。いくつかの部署を回った末に、ブリスベンの物資管理部門に配属されたんだ」  サンダースはそこで、物資の帳簿を管理する仕事をまかされた。  配属された二週間後のことだ。帳簿をチェックしていたサンダースは、数字が不正に操作されているのを偶然、発見した。さらに過去の書類を引っくり返して調べると、同じ部署で働く男が物資の横流しを行っている証拠を見つけたのである。  そのことをサンダースは内密に当時の上司に報告し、証拠となる帳簿も一緒に提出した。  数日後、物資管理部門に陸軍犯罪捜査局(CID)の捜査官がやって来た。 「ーーそれから、どうなったと思う?」 「横流しをしていた男が逮捕されて、前線送りにされたんですか?」 「いいや。手錠をかけられたのはーー私の方だった」  驚くカトウに、サンダースは続けた。 「その男と上司がグルだったんだ。私が告発することを恐れた二人は、物資横領の()れ衣を、ほかならぬ私に着せた」 「……もちろん、抗議されたのでしょう?」 「ああ。だが、奴らはぬかりがなかった。上司は通報した時点で、私に不利な証拠をでっち上げていて、捜査官たちは頭からそれを信じた。軍法会議が開かれていれば、私はおそらく一兵卒に降格の上、最前線任務を命じられただろう。そうなっていたら――太平洋のどこかの島で、死んでいたかもしれない」 「……」 「だが、軍法会議が予定されていた日の前日に、釈放された。最初は、わけが分からなかったよ。捜査の不手際を謝罪し、事情を説明してくれたのは、陸軍犯罪捜査局(CID)のカール・ニースケンスという中佐だった。彼の口から、こう説明されたんだ。連合軍翻訳通訳部(ATIS)に勤めるが、わざわざ休暇をつぶして、問題の横領事件を調査し、上司と同僚が物資を横流ししていた民間人をつきとめた。その民間人の男の口から証言を得ることができたからこそ、私は釈放されたのだと」  しかし、サンダースが元の部署に戻ることはなかった。どういうやり取りが裏で行われたのか定かでないが、そのまま彼は連合軍翻訳通訳部(ATIS)に転属となり、彼の濡れ衣を晴らしてくれたとある情報将校の下で、働くことになったのである……。 「――それが、クリアウォーター少佐だったというわけですね」 「その通り。以来、私はあの人のもとで仕事をしてきた、というわけだ」  サンダースは何かを思い出そうとするように、天井をあおいだ。 「その間に。私はあの人(クリアウォーター)の長所も短所も、つぶさに見てきた。とはいえ、いまだに全てをつかんでいるわけでも、理解できているわけでもないが……」  それから、視線を横に座るカトウに転じた。 「私にとって、クリアウォーター少佐は謎めいた存在だが。貴官も少々、謎だな」 「……というと?」 「あんな事件に巻き込まれた後、私ならさっさと寝るーーひとりでな」  どうにも、サンダースはカトウがクリアウォーターの誘いに応じたことを、暗に非難しているようだった。それに気づいたカトウは、ふとこの生真面目な中尉をからかいたくなった。  そんな気分になったこと自体、久しぶりのことだった。 「…先ほどのお話を聞く限り。中尉は前線に行かれたことがないんですよね」  サンダースはカトウの問いに、「幸運にも、ない」と答えた。 「なら、教えて差し上げます。これ、戦地に行った連中の間では常識なんですけどーー」  カトウはもっとも効果的な間を置いて言った。 「危険な目にあった日の夜ほど、人間って不思議と人肌恋しくなってーーヤりたくなるんです」 「………冗談だろう?」 「いえ、本当ですって」  サンダースは何とも言えぬ表情で、目をそらした。カトウはその反応に、可笑しそうにのどを鳴らす。  それを聞いた生真面目な中尉は、奇妙なものを見る目つきで、カトウを眺めた。 「……初めて見たな」 「え?」 「いや、なに。貴官も、笑うことがあるんだな」  どう答えたものか、カトウには分からなかった。

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