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第七章(③)
「いらっしゃいませ」
下町のとある建物の門をくぐると、薄暗いランプ灯りの下で、いつものように顔見知りの女主人が迎えてくれる。主人は金払いのよいクリアウォーターが「どこかの貴族の邸の従僕 」だと店の者に吹聴していた。それを耳にした時、クリアウォーターは我知らずほくそ笑んだものだ。そう見えるように振る舞って、実際にそうだと思われたのだから、変装者の冥利に尽きるというものだ。
「今日は、アレックスはお風邪なの。ごめんなさいね」
年齢不詳の女主人は、いかにも残念そうに告げた。
「そのかわり、あなたと相性のよさそうな子、キープしといたから」
「ありがとう、マダム」
「いらっしゃい、ジミー!」
女主人のしゃがれた声に、奥からスッと人影が現れた。年は二十を少し過ぎたといったところか。薄い肌着をつけただけの相手は、確かにクリアウォーターの好みに近かった。
身体つきは細すぎず、太すぎず。背は五フィート六インチ(約百七十センチ)と理想的。ギリシア彫刻のようにとはいかないが、暗がりなら十分に鑑賞に堪えうる容姿の青年。
ーー男娼だった。
その場で話がまとまり、クリアウォーターは金を払うと、初めての男とともに階段を上がっていった。
部屋の扉を閉めると、ジミーはこなれた風情で、クリアウォーターの腰に腕を回した。かろうじて蠱惑的 と言えそうな笑みを浮かべ、緑の瞳をのぞきこむ。
「お客さん、美人だね。美男子って言った方がいいかな」
「どうも」
「知ってる? アレックスのやつ、本当は風邪でもなんでもないんだ」
「おや、そうだったのかい」
「お客さんに会うのが、どうしてもいやだって。変なやつだよ。客でこんなに若くていい男なんて、めったにいないのにさ」
「…君は」
「うん?」
「私を、気に入ってくれるかな?」
ジミーはげらげらと笑い出した。
「こんないい男なら。大歓迎だよ」
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「おねがい、もう許して………」
涙声の懇願を、クリアウォーターは聞き流した。というより、耳に入った言葉の意味を脳が解釈するのを一時的にやめている。
ジミーの腰を持ち上げ、結合をいっそう深くすると、相手が悲鳴のような叫びを上げた。
「いやだ、もう………いや……………いやあああーーー!」
何度目かの絶頂を迎えた男娼の手足から力が抜ける。そのままぐったりと、伸びてしまった。気を失ったのだ。クリアウォーターは気絶した相手の腰をつかみ、いっそう激しい抽送を繰り返した。
数分後、汗まみれの身体でジミーの上に覆いかぶさり、精を放った。それから反応のなくなった男娼を見下ろす。そこで、ようやく少し冷静さがもどってきた。
「ーーしまった。またやった」
悪いことをしたと、今になって身勝手な後悔がわいてくる。
ジミーは十分と経たない内に、意識を取り戻した。しかし、部屋のくらがりにクリアウォーターを見つけると、ひっと身体を強ばらせた。
普段のジミーなら、「男娼としては、あるまじきふるまい」と揶揄 するだろう。アレックスもそうだった。クリアウォーターは最初の数回、何とか自分を抑えていたが、前回ついにタガが外れた。ーーそして今回も。
テーブルに、謝罪の意味を込めて余分に紙幣を置く。身支度を整えたクリアウォーターは震えるジミーを残し、部屋をあとにした。
外に出ると、すでにあたりが明るくなりはじめていた。
人気のない石畳の道に、小石がひとつ転がっている。クリアウォーターは何となく、それを蹴りながら歩き出した。
苦い味が口の中に広がる。この前も、同じような帰路だった。
同じ道。そして、同じ過ちと後悔。
ーー君は、まるで呼吸するようにうそをつくな。
グラン教授の言葉を思い出し、クリアウォーターは唇を自嘲気にゆがめた。
ーーああ、その通り。ぼくは、おそらく才能に恵まれたうそつきですよ。
だけど、ずっとうそをつき続けるのは、確実にストレスがたまるんですよ。
同性愛者であると知られるのは、社会的な死を意味する国々で。
親しい人たちにそうであることを隠して、偽って、欺き続けているとねーー。
時々、気が狂いそうになるんです。
…蹴った小石は狙いを外れ、用水路に落ちた。クリアウォーターはため息をつく。
見えなくなった小石を踏み越えて、とぼとぼと歩いていく。
一週間後。乾いた肉欲を散らすために、きっと同じ道をたどると、半ば確信しながら。
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