98 / 264
第七章(⑩)
クリアウォーターは自家用車を所有していないため、普段は運動がてら徒歩でU機関 の建物まで通っている。しかし現状で、さすがに徒歩というわけにはいかず、送迎には昨日、支給されたばかりのウィリス・ジープが用いられた。運転するのは、邸の警護に当たっていた陸軍兵士の一人である。
歩いて十五分の距離は、車なら五分とかからない。サンダースとの協議の末、朝はカトウが、そして夜はサンダースが、それぞれ護衛をするということで、クリアウォーターは妥協した。この二人であれば、いざという時に足手まといにはなるまい。
何より、毎朝カトウと過ごす時間が持てるという点が、密かに気に入った。
たとえ、それが五分という短い時間であり、カトウが親密さのカケラも見せてくれないとしても。
「君の宿舎から、私の家までどれくらいなんだい?」
助手席のクリアウォーターが、後部座席のカトウを振り返る。
「半時間くらいです」
カトウはガーランド銃を手に、周囲を油断なく警戒している。つまり、クリアウォーターの方をちらりとも見なかった。仕事熱心でなによりと言うべきか。
昨日は忙しすぎて、結局カトウとろくに話ができなかった。
当然、あの夜に二人の間にあった出来事のことも。
きちんと話をするべきだと、頭では分かっている。しかし、同時にクリアウォーターは彼らしくもなく、ためらっていた。躊躇 が、恐れに発するものであることを半ば自覚している。
日曜日にしたキスのように、またなかったことにされるのではないかと。
二日ぶりに戻って来た仕事場の前で、ジープから降りたクリアウォーターはしばし佇 んだ。
なつかしいはずの洋館は、太陽の下で奇妙な形の影をまとい、どこか魔窟 めいて見えた。
十時近くになって、クリアウォーターは出勤してきた全員を一階の応接室に集めた。
といっても、三日前の「全員」からニッカーとヤコブソンの二人が欠けている。一方、まだ休養期間にあるはずのアイダは、無理をして出勤してきていた。アイダは肩を吊っているが、それでもクリアウォーターの姿を認めると、他の同僚たちとともに無事な方の手で敬礼した。
クリアウォーターはホールに集まった一同の顔を、ひとりひとりしっかり見つめる。
それから、おもむろに口を開いた。
「――みんな、すでに事件のことは聞きおよんでいると思う。一昨日、鎌倉に向かう途上で、私とニッカー軍曹、カトウ軍曹、ヤコブソン軍曹の乗ったジープが正体不明の敵の襲撃を受けた。そしてニッカー軍曹が殉職し、ヤコブソン軍曹も怪我を負って入院した」
クリアウォーターはそこで三秒ほど沈黙する。
「――今回の襲撃事件について、対敵諜報部隊 に捜査を一任すると、決定が下った。そして、捜査責任者であるセルゲイ・ソコワスキー少佐に問い合わせたが、我々の助力は不要とのことだった」
それを聞いた六人の男たちの間に、さまざまな表情がよぎった。
失望、非難を込めた怒り、困惑――クリアウォーターは毛筋一本の不自然さも見逃すまいとする。しかしどの顔にも、すぐに見破られるようなうそを見つけることはできなかった。
クリアウォーターは反応が落ち着いたところで、再び口を開いた。
「だが、彼らとしても、我々が独自に捜査を行うことには反対はしなかった――こちら側が全面的に情報を提供するという条件でね」
ーーーーーーーー
約一時間前。
クリアウォーターが執務室の椅子に腰を下ろすと同時に、卓上の電話がなり出した。
かけてきたのは他でもない、対敵諜報部隊 のソコワスキー少佐であった。
「おとなしくしているか?」
捜査責任者の少佐の第一声がそれだった。電話口なのをいいことに、クリアウォーターは舌を出した。子供じみた、ささやかな意思表示。それでも、声音だけは完璧に制御してのけた。
「今のところはね」
「……どういう意味だ?」
「いやなに。君たちの捜査に、微力ながら貢献できればと思ってね」
「貴官の貢献など必要ない」
「調べなければいけないことは、それこそ無限にあるだろう? 逃亡中の襲撃者たちの追跡。現場に残された死体の身元特定。爆発物に使われた火薬の出所。エトセトラ、エトセトラ」
「………」
「だろう?」
クリアウォーターはにこやかに続けた。
「私はこれから、あることを調べる。分かった内容は、君に逐一報告する。逆に、君たちが調査しつかんだことを、こちらに教える義務はない。その条件でどうだい?」
ともだちにシェアしよう!