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第七章(⑬)

 部下たちを解散させ、自身の執務室にもどったクリアウォーターは、しばらくしてサンダース中尉を呼んだ。 「まず、この資料を読んでくれ」  サンダースを座らせると、クリアウォーターは手にした紙の束を部下に手わたした。  サンダースは一枚目を目にした途端、眼を細めた。そこには、こう記してあった。  『この部屋は盗聴されている可能性がある。今から必要なやりとりは、すべて筆談で行う。  口では適当な会話を続けてくれ』 「……昨晩はよく眠れましたか?」 「ああ、ぐっすりだったよ。おかげで大分、元気が戻って来た」  サンダースは、続きにすばやく目を通した。  『内通者がいることが確定した』  その後に、ガーランド銃の細工の一件に始まり、倉庫の鍵に至ることなどが、簡潔に記してあった。そして最後に、丁寧な字で書き添えられてあった。  『裏切り者を探し出す必要がある。だが短期間で目的を達するには、私ひとりの手に余る。  どうか力を貸してくれ、スティーヴ・アートレーヤ・サンダース中尉』 「…鎌倉で尋問するはずだった麻薬の売人。岩下拓男の身柄は、対敵諜報部隊(CIC)に委ねられたそうですね」 「残念なことにね。できれば私自身で尋問を行いたいたかったが、ソコワスキー少佐にすげなく断られたよ。何といっても、今回の事件の捜査権限は彼の手にあるから。仕方がない」 「なるほど」  話しながら、サンダースは鉛筆を走らせる。彼の人となりにふさわしい几帳面な字は、走り書きで少し乱れていた。  『質問。私をなぜ協力者に選んだのですか?』  『なぜ?』  『論理的に考えれば、私はもっとも怪しい人間のはずだ。倉庫の鍵を自由に使える。そし  て、事件発生時にあなたのそばにいなかった』  Why(なぜ)ーー大きく書きつけられた字に、クリアウォーターは軽く、書いた男をにらむ。それから、鉛筆を動かした。  『君を疑うくらいなら、私は自分が異性愛者であることを疑うよ』  『?』  『裏切りという行為は、君の本質と相容れない。それくらいは分かっているつもりだ』  クリアウォーターは書きつけた。  『私は誰よりも、君を信じている』 「――そうだ。話は変わりますが」  サンダースはペンを動かす。すぐに止まる。書きつけられた単語が、乱雑な線で消される。 「カトウとのことは、どうするおつもりですか?」  また書きつけ、止まり、消す。銀縁眼鏡の奥から、ダークブラウンの眼がクリアウォーターに向けられる。数秒の後、打って変わった速度で字を書いた。  『私は昔、信用していた上司から手ひどく裏切られた。その時、あなたに助けられた。本来  なら、あなたを全面的に信用すべきは、私の側であるはずだ。でも――』 「……もしもあなたが部外者とつき合うのであれば、私も口出ししません。でもカトウはU機関(ユニット・ユー)の人間で、あなたの部下です。必然的に弱い立場にある。たとえ、あなたとの関係の維持を望んでいなくても、自分からノーとは言いにくいかもしれない」  サンダースは書いた文章を、クリアウォーターに示した。  『あなたが私を信じるほどに、私はあなたを信じられない。あなただけじゃない。他の誰に  対しても、きっと二度と完全な信頼を寄せることができない』 「ーー分かっているよ」  クリアウォーターはつぶやく。続きを読む。  『それでも、確かなことがある。あなたの下で働いた四年間、あなたは私を一度も裏切らな  かった。ひどい仕打ちもしなかった。部下を陥れるような真似は、一度もしなかった』    クリアウォーターは書かれた最後の部分にたどり着いた。    『そんなあなたが、私を信頼してくれたーーーせめて。その信頼には精一杯、応えたい』 「…カトウとは、数日以内にきちんと話をする。もし、彼が望まないなら――その時は手を引くよ」  クリアウォーターはひと言、書きつけて鉛筆を置いた。  『ありがとう、スティーヴ』 「……承知しました」  答えたサンダースの前に、クリアウォーターは右手を差し出す。  サンダースは数秒、それを見つめてから力強く握り返した。

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