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第八章(③)

「想像してみろ。もしも俺が、タオルの下にカミソリの刃を隠していたら、どうなってた?」  首筋に触れるアイダの指に、力がこもる。カトウは反射的にアイダの手を振り払い、大きく後ろにのけぞった。腰に手をやる。だがそこで、拳銃は自室の机の引き出しの中だということを思い出した。  カトウはごくりとのどを鳴らした。  目の前の男は怪我で右腕を使えない上に、足に障害をかかえている。  しかも、パンツ一枚の姿だ。  だというのに、短機関銃を手にした敵と向き合っているような怖さをカトウは感じた。その気になれば、アイダはタオル一枚でカトウを(くび)り殺せるーーそんな確信さえ抱いた。 「……なんのつもりですか!?」  U機関に入って以来、カトウはアイダをよき先輩だと思っていた。斜に構えて、皮肉っぽいところはあるが、現実的なものの見方ができて、頼りになる男。  ところが今、カトウの眼の前にいるのは、全く知らない人間だった。    カトウの声があまりに上ずっていたからだろう。アイダは左肩だけ器用にすくめて、 「すまん。悪い癖がでた」  率直に謝った。 「お前は今、クリアウォーター少佐の護衛をしているだろう。だから、先輩面して忠告をひとつしておきたかったんだ」 「ちゅ、忠告って?」 「ガーデン・パーティで見せた射撃の腕にくわえて、過去に銀星章(シルバー・スター)二つ。お前は間違いなく、兵士としては相当質の高い部類に入る。でも戦闘ってのは、正面切っての銃の撃ち合いだけじゃないーー」  アイダは片方の唇をゆがめた。 「俺がニューギニアにいた時、どんな戦争をしていたと思う?」 「……想像もつきません」 「ゲリラ戦だよ。ジャングルの中で孤立した少人数の敵を襲って、片付けていた。昼間は巣をはりめぐらしたクモのように、糸に引っかかったまぬけの頭を撃ちぬく。夜は、眠っているやつらに音もなく忍び寄って、一時の眠りを永遠の眠りにしてやる、そういう類の戦いだ」 「………」 「卑怯とか思ったか?」 「いいえ」  カトウは戦場を知っている。だから、本心からそう答えた。  自分が殺されないために行うすべてのことと、仲間が殺されないために行うすべてのことが、正当化される。  たとえば。逃げる敵を背中から撃っても、誰もそれをとがめはしない。  それが戦争だ。  アイダはカトウを眺め、軽くうなずいた。  「ーークリアウォーター少佐を狙った連中は、爆弾の不意討ちで、あの人を殺そうとした。この一点で、敵が手段を選ばん連中だというのは十分に分かるだろう。一度であきらめる臆病者ならいいが、そうでなかった時は、またやっかいなことになる。何かあってから、後悔するんじゃ遅すぎるから、先に言っておきたかったんだ――護衛をしている時は、自分と護る対象以外は、すべて敵だとくらいに思っておけ。くれぐれも、気を抜くんじゃない」 「……分かりました」  アイダはその答えに、満足したようだった。 「ならいい。期待しているぜ、カトウ軍曹」  いつもの飄々(ひょうひょう)とした口調で言って、タオルを拾う。それから不意に、にやっと笑った。 「あと女遊びは、ほどほどにな」 「…は、はあ?」 「うなじのところ。吸われた跡、残ってるぞ」  アイダの指摘に、カトウは一瞬こおりついた。それからものすごい勢いで、シャツの(えり)をひっぱって、首筋を隠した。  カトウの一連の動作に、アイダは声を上げて笑った。 「お前さんも、けっこう(すみ)に置けんな。安心しろよ、黙っといてやるから」  真っ赤になったカトウは、何も答えることができなかった。

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