108 / 264

第八章(④)

 アイダが「さっぱりした」と出て行った後、カトウは更衣室の扉の鍵を内側からきっちり締めた。真夜中だから、さすがにもう誰も来ないだろうが、念のための用心だ。  シャツのボタンを外し、下着も脱いで、カトウは貧相な身体を鏡に映した。 「……うう。まだ、消えてなかったのか」  クリアウォーターとの情交の痕跡。うなじと、鎖骨、胸にそれから背中と――途中でカトウは探すのがばかばかしくなってやめた。さすがのアイダも、カトウにこれをつけた相手が同性だとまでは気づかなかったようだ。 ――……これ、いつまで残るんだ?   色恋沙汰にうといカトウには、さっぱり分からない。身体を確かめる内に、カトウの視線は自然と別の部分に向かった。  腹と背中に、シミかカビのようにこびりついた醜悪(しゅうあく)な傷跡。  おそらく生涯、消えることはない。それは、カトウの歩んできたろくでもない人生の中でも、もっとも暗くそして長かった時代を象徴しているかのようだった。 ――クリアウォーター少佐(あのひと)は、これを見ただろうか。  おそらく見たに違いない。ひょっとすると、この醜い傷が原因で、カトウに興味を失ったのかもしれない…。そこまで考えて、カトウは目を閉じた。額を鏡に打ちつけると、ゴンっとまぬけな音がした。それでも金属の冷ややかな感触は、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。 ――しっかしろ。自分の役目を果たせ、ジョージ・アキラ・カトウ。  クリアウォーターの身を守ること。そして、通訳の仕事を全うすること。  たとえクリアウォーターに対して、自分でも説明不可能なくらいに感情をこじらせて、彼のことを嫌いになりかけているとしても。  この任務に全力を尽くすという部分において、カトウには一点の迷いもなかった。

ともだちにシェアしよう!