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第八章(⑨)
それから岩下は驚くほど正直に質問に答えた。
「あの男は薄々、自分が裏社会の人間という柄でないことに気づいていたのかもしれない」
尋問の間の短い休息時間に、クリアウォーターは岩下という男をそう評した。
「元々は自分の領分で、堅実に商売を行う人間だった。それが、誰も経験したことのない敗戦という異常事態に狂わされ、つい魔が差してしまった――手に入れた阿片はいつしか富ではなく、彼自分と家族を苦しめる重荷になっていたんだろう」
聞いたカトウは、腑に落ちた気がした。岩下は秘密を打ち明けていくうちに、落ち着きを取り戻していった。その表情は確かに、どこかほっとしているようにも見えた。
阿片を手に入れた経緯を、岩下は記憶をたどって語り始めた。
「……一九四五年の七月のことだった。増田 と名乗る男が、俺の会社に電話をかけてきて、大連 にある倉庫をひとつ借りたいと申し出てきた」
これから直接会って話をしたいと言ったきり、電話は切れた。岩下はイタズラだと思った。だから一時間後、平服姿の男が、星を二つつけた陸軍中佐と一緒に現れた時は、腰を抜かしそうになったという。
「軍人の方は名乗りもしなかった。ただ『軍事上重要な物資をあずかってもらいたい』と言っただけだ。あとの手配はすべて、増田がやった。こいつは平服だったし、態度や口ぶりからも到底軍人とは思えなかった。おそらく民間人だったと思う」
その日の内に、トラックに乗せられたドラム缶が次々と倉庫に運び込まれた。事情を知らなかった当初、岩下はドラム缶の中身はガソリンだと思った。もっとも中身を増田に尋ねることはなかったし、さらに家族にさえ、この一件は隠して告げなかった。口外するなと固く言われていたからで、岩下は律儀にそれを守った。
七月中にはドラム缶は残らず内地 に輸送される――増田はそう請け合った。
ところがカレンダーの月が八月に変わっても、倉庫のドラム缶は一つも減ることはなかった。その頃には、すでに日本が戦争に負けつつあることが、様々なところから岩下の耳にも入ってくるようになっていた。同時に、満洲の北――シベリア方面から、ソ連軍が「日ソ中立条約(一九四一年、日本とソビエト連邦の間で締結された相互不可侵条約)」を破り、軍事侵攻してくるのではないかという不吉な噂も流れ始めていた。
それはまもなく、現実のものとなった。
一九四五年八月八日。ソ連は日本に対して宣戦布告を行い、九日午前零時をもって怒涛の勢いで国境を突破し、南下を開始した。まさにその日、岩下は再び増田の訪問を受けた。
増田は小さいが船を用意できたと岩下に告げた。それで倉庫のドラム缶をまず煙台(山東半島の港湾都市)まで運ぶつもりだという。それを聞いた岩下は、何か奇妙なきな臭さを覚えた。第六感とでも言おうか。ソ連軍の侵攻という非常事態にあるこの時に、一体そこまでして何を運ぼうとしているのか、岩下ははじめて増田に尋ねた。増田は当初とぼけていたが、岩下が保管期間の延長をたてに、貸し賃の追加請求を迫ると、ついに秘密を明らかにした……。
「たまげた話だったよ。ドラム缶には全部、満洲で栽培された阿片が詰まっていた。しかも増田はそれをそっくりそのまま、自分の懐に入れる気でいやがったんだ。例の軍人は何日か前に、乗っていた飛行機が墜落して事故死したと言っていたーーそこでやっこさんは、着服することを思い立ったらしい」
関東軍は南下してきたソ連軍の相手をするのに手一杯で、阿片のことなどしばらく頭にないし、証拠の書類はすでに処分した。持って去るなら今しかない――増田はそう力説した。
「俺は奴の手配した船に、ドラム缶を運び込む仕事を従業員に手伝わせた。その礼と口止めをかねてだろうな。奴は分け前にと、ドラム缶のひとつを俺にくれた」
「ドラム缶の中の阿片の量は?」
「ざっと百キロといったところだ」
「その阿片は今、どこに?」
「三分の一はすでに売った。残りは、何ヶ所かに隠している」
その隠し場所を岩下は挙げた。メモしたクリアウォーターはそれをサンダースに手渡し、すぐに隣室のソコワスキーのもとに持って行かせた。これで数時間の内に、岩下の所持する阿片の押収は完了するはずだ。
「しかし、その増田という男もずい分、気前がいいな。少し手伝っただけで、君が一生喰うに困らぬ額の代物をくれたんだから」
「…まあな」岩下は鼻をならし、クリアウォーターに向かって言った。
「そりゃ、同じものが百個もあれば、ひとつくらい恵んでやる気にもなるってもんさ」
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