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第八章(⑪)

 クリアウォーターによる尋問は、午後六時過ぎに終了となった。  先ほど珍しく譲歩の姿勢を見せたソコワスキー少佐であったが、それは本当に一時のことだったらしい。クリアウォーターの本来の職務が岩下の口を割らせるところまでだと思い出した少佐は、ほどなく彼らを追い出しにかかった。  クリアウォーター自身、現在はU機関内部にいる裏切り者を期限内に探すという仕事を、W将軍から任されている身である。残念だが、止むを得まい。岩下の証言の真偽をさらに調べるのは、ソコワスキー少佐と、対敵諜報部隊(CIC)に委ねるとしよう。 「――何か分かったら、教えてくれるかい?」 「だめだ」   予想通りの、にべもない返答だった。クリアウォーター内心でため息をついた。だが、すぐに笑顔の仮面をかぶって、ソコワスキーに言ってやった。 「つれないね。でも、こちらで分かったことがあったら、また連絡させてもらうよ」  その言葉に、半分白髪頭の少佐は盛大に眉根を寄せた。しかし、今回ばかりはさすがに「口を挟むな」とは言わなかった。 「……ふん。期待はしていない」  ソコワスキーはそれだけ言い捨てると、さっさとクリアウォーター一行に背を向け、廊下を歩いて行った。  クリアウォーターとサンダースとともに階段を下りながら、カトウはふと岩下の家族のことが気になった。ソコワスキーのような男に、彼らの身柄をあずけて本当に大丈夫なのだろうか? ーーそのことをを口にすると、 「心配はいらないよ」クリアウォーターは笑って保証した。 「セルゲイ・ソコワスキー少佐は、成人男性に容赦はないが、あれで女性と子どもには優しいんだ。その点は信用していいよ」    三人が荻窪のU機関に戻った時、あたりはすっかり暗くなっていた。クリアウォーターは参謀第二部(G2)のビルを出る前に電話を入れ、出てきたニイガタから進捗状況の報告を受けるとともに、遅くなりすぎる前に帰宅するよううながしていた。クリアウォーターたちが乗ったジープがU機関の前に来た時、すでに建物の窓に灯りはなく、W将軍が手配したMPが巡回する姿が見られただけだった。 「建物に寄りますか?」  運転席から聞いてきたサンダースに、クリアウォーターは「いや」と応じた。 「このまま、私の邸まで行ってくれ」 「分かりました」    ジープが邸の前に停まると、その音を聞きつけて、玄関扉から現れた女性がにこやかに三人を出迎えた。 「おかえりなさいませ。だんなさま」  お手伝いの邦子の後ろからは、しょうゆとみりんの織りなす、いい香りが漂ってきた。 「すぐに、ごはんのしたくをしますね」 「ありがとう、邦子さん」クリアウォーターは微笑んで、背後を振り返った。 「サンダース、カトウ。ついでだから、夕食を食べて行かないかい?」  思わぬ申し出にとまどうカトウの横で、サンダースが申し訳なさそうに言った。 「すみません。私は遠慮させていただきます」 「おや、それは残念」 「何か、ご用事ですか?」  カトウは、反射的にたずねた。答えにつまるサンダースの横で、クリアウォーターが意味深な表情を浮かべた。 「おいおい、カトウ軍曹。今日は金曜日だよ」 「え、ええ…」 「岩のごとき堅物(かたぶつ)のスティーブ・サンダース中尉にだって、プライベートの生活ってものが、あって当然だろう」 「あ……! し、失礼しました!」  サンダースは、苦々しい顔になったが、反論することはなかった。「…では」と挨拶しただけで、二人の前から姿を消した。徒歩で荻窪駅の方へ向かう後ろ姿を見送った後、カトウは今さらながらクリアウォーターと二人きりになったことに気づいた。 ーーどうしよう。  断る口実をでっちあげるか。カトウがまごついていると、クリアウォーターがすかさず言った。 「君は食べていってくれるよね、カトウ軍曹」  退路をふさがれた。 「え……いえ……」 「今日は肉じゃがと揚げ出し豆腐を作るって、邦子さんが言っていたよ」 「………」偶然だろうか。両方ともカトウの好物だ。 「それに、さっき電話した時に、豆大福も買ったって言ってたね」  カトウの好物度:豆大福>>>>………>>>>>肉じゃが≧揚げ出し豆腐。  決定。絶対に偶然ではない。 「…誰から、俺の好物を聞き出したんですか?」 「ササキだよ。前に君が翻訳業務室になじんだか聞いたら、聞きもしないことまであれこれ懇切丁寧に答えてくれてね。おかげで、非常に参考になった」 ――…あのやろう。帰ったら、しめ上げてやる!  口の軽い同僚にふつふつ怒りをたぎらせるカトウの横で、クリアウォーターはわざとらしくため息をついた。 「サンダースも用事で帰っちゃったし。お客さんが二人とも欠席と知ったら、腕をふるってくれた邦子さんが、さぞ悲しむだろうなぁ……」 「分かりました! ごちそうにあずかります!!」  カトウの返事に、クリアウォーターは短い笑い声をこぼす。  それはまるで、イタズラに成功した少年のごとき屈託のない澄んだ笑い声だった。

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