121 / 264

第九章(①)

 細長い窓から差し込む淡い陽光が、礼拝堂の中を照らしている。堂内に並べられた木の長椅子は、七割方が埋まっていた。パイプオルガンの前奏がはじまり、敬虔な信者たちが立ち上がると、高い天井に老若男女が歌う讃美歌が響きわたった。日曜礼拝でよく好まれる「ちいさなかごに」だ。 ーーちいさなかごに花をいれ、さびしい人にあげたなら、   へやにかおり満ちあふれ、くらい胸もはれるでしょう。   あいのわざはちいさくても、かみのみ手がはたらいて、   なやみのおおい世のひとを、あかるくきよくするでしょう。                (『讃美歌第二編』26番,日本基督教団出版局,1982より)  それが終わると、初老の牧師が聖書を置く書見台の前に進み出て、ゆったりした口調で説法をはじめた。時々、信者の座る座席の方を見やる。さまざまな色の髪の中に、ひときわ目立つ赤毛の男も座っていた。  荻窪にあるプロテスタント教会の礼拝に、ダニエル・クリアウォーターは久方ぶりに参加した。近代科学の信奉者であるクリアウォーターは、不信心者であっても、無神論者ではない。こうして、たまに礼拝に参加することもある。とりわけ、精神的に疲労している時には。  もっとも、今のところ大した気分転換になっていない。語り口ほどに牧師の話の中身が面白くなかったせいかもしれない。クリアウォーターは、手元の聖書をぱらぱらとめくった。  偶然でくわした新約聖書の一節に、その目が留まった。 ――ある人が良い種を畑に蒔いた。   人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。   芽が出て実ってみると、毒麦も現れた。   (新共同訳『聖書』「マタイによる福音書」第13章24-26節,日本聖書協会、1998より)    今の状況にぴったりじゃないか、とクリアウォーターは思った。U機関の部下たちは皆、良い種ばかりだった。しかし、クリアウォーターが間抜けだったばかりに、彼らの内に毒麦を招き入れてしまったのだ。  問題の聖書の箇所は、さらに次のように続く。 ――僕たちが主人のところに来て言った。   『だんなさま、畑には良い種をお蒔きにになったではありませんか。   どこから毒麦が入ったのでしょう。』   主人は『敵の仕業だ』と言った。   そこで僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。   『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。   刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。   刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」   と、刈り取る者に言いつけよう。』――                       (「マタイによる福音書」第13章27-30節) 「――まさに、毒麦探しだな」クリアウォーターはつぶやいた。  良い種である麦を傷つけることなく、毒麦だけを探して隔離する。  誠実な部下たちの中から、裏切り者だけを見つけて排除する。  それが、クリアウォーターに課せられた任務である。  ささやき声は小さく、隣席にかろうじて届く程度だった。それでも、隣りに座る男は薄く目を開け、銀縁眼鏡の奥から軽くクリアウォーターの方をにらんだ。 「無粋な話はあとにしてください。教会に来ている時くらい、仕事のことは忘れたいので」  スティーヴ・サンダース中尉は手厳しく上官を注意すると、再び眼を閉じて牧師の話に熱心に耳をかたむけた。

ともだちにシェアしよう!