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第九章(②)

 礼拝が終わって外に出ると、気持ちのいい風がクリアウォーターとサンダースの方にふきつけてきた。少々肌寒いが、散歩にはもってこいの天気である。ただし、クリアウォーターの心は一昨日の晩からずっと、曇天続きだが。隣に並ぶサンダースが、上官に気兼ねするようにあくびをかみころす。クリアウォーターが、それに気づいて言った。 「大丈夫かい? 帰りの列車では、眠れたと言っていたけど」 「…眠れはしましたが、単純に疲れたんでしょうね。なにせ金曜日に東京から半日近く列車に揺られて、土曜日には、またとんぼ返りしてきましたから」  すばらしい週末の『プライベート』でしたよ、とサンダースが言うと、クリアウォーターは「本当にご苦労さま」と苦笑した。実際、いくら頭を下げても足りない思いだ。  金曜日、クリアウォーター邸での夕食を断ったサンダースは、その日の夜の内に荷物をまとめ、都内の上野駅から列車に乗った。目的地は富山県富山市――ジョージ・アキラ・カトウ軍曹が少年時代を過ごした街である。  ちなみに東京方面から北陸地方へ向かう直通の夜行列車は、まだ走っていない。そのため、サンダースは途中で何度か乗り換えなければならなかった。それでも苦労の甲斐あって、土曜日の午前中には、富山市内にたどりつくことができたのである。  歩きながら、クリアウォーターはサンダースにたずねた。 「それで、カトウが富山に滞在していたころのことは、聞けたかい?」 「ええ。コバヤシ少尉が手配を済ませてくれていたおかげで、カトウが通っていたエレメンタリー・スクールの校長と、三年生の時に担任教師に直接会って、話を聞くことができました」  対敵諜報部隊(CIC)の金沢支部に、クリアウォーターやサンダースと旧知の仲であるコバヤシという日系二世がいる。セルゲイ・ソコワスキー少佐と違って、コバヤシとクリアウォーターとは、まず良好と言っていい関係を保っている。 ーーある日系二世の身辺調査を、秘密裡に行っているーー  参謀第二部(G2)本部から電話をかけーーなにぶん、U機関の電話は盗聴されている恐れがあるためーー説明すると、金沢に暮らす温和な少尉は、一も二もなく、協力を申し出てくれた。  富山市は終戦間際の8月の大空襲で、壊滅的な被害を受けていた。少なくとも2000人以上の市民が命を落とし、20000戸の家屋が焼け、11万人近い人間が罹災。戦後、復興は進んだものの、市内にはいまだに空襲の爪痕が残っている。  バラック建ての富山駅で、コバヤシと合流したサンダースは彼に連れられ、カトウが昔通っていた国民学校――学制改革により、四月一日に小学校と改名されたばかりだ――に案内された。   木のかおりがする真新しい校舎の来賓室で、二人の日本人がサンダースたちを待っていた。すでに引退した国民学校時代の校長と、現在もこの学校で教える女性教員だ。  二人とも、アメリカの軍関係者に呼び出されて、極度に緊張した様子だった。しかしサンダースがコバヤシの通訳を介して来意を説明し、持参したカトウの写真を見せると、女性教員の方は、驚きをあらわにして言った。 「ほんとうに、宮野君やちゃ。生きとったんか……ああ、あの痩せ坊がこげに立派になって」  サンダースはすでに、カトウが富山で暮らした幼少期に「ミヤノ・アキラ」という名前で呼ばれていたことを知っている。宮野とは、カトウの母親の姓だ。  あいにく校長の方は「宮野明」という児童にまったく覚えていなかったが、女性教員の方はよく覚えていた。 「あの子、冬でもつんつるてんの着物に、ぼろぼろの靴をはいて、学校に来ていたんですよ。クラスの中でもとびぬけて、気の毒な子でした」 「家が貧しかったんですか?」 「いいえ。隣のクラスに同じ家の子……宮野明のイトコがいましたけど、そちらは普通に厚い綿入りの着物で、頭巾をかぶっていましたから」 「…カトウは幼少期に母親を亡くし、母方の伯父の家で育ったと聞いていますが。そのことと何か関係が?」  女性教員は話すべきか否か、少しの間、迷う素振りを見せた。察したコバヤシは、如才なく元校長に退室をうながした。元校長は気分を害した様子もなく、お役御免となって、むしろほっとしたように来賓室から出て行った。 「…さて、これで他の人の耳を気にする必要はなくなりましたね」  コバヤシが促すと、やっと女性教員も話す決意を固めたようだった。 「その伯父の家の者が、宮野にずい分とつらく当たったようで。あの子はしょっちゅう顔を()らしたり、腕や足に(あざ)をこしらえて、学校に来ておりました。どうも殴られていたようです。イトコの方が、ケガなぞついぞしたことがなかったので、余計に目立ちました」

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