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第九章(③)

 さらに彼女の口から、カトウがそのイトコにもいじめられていた様子が語られた。  当時の男の子の間で、一番人気のあった遊びが戦争ごっこだ。放課後、街中の空き地や路地で、少年たちは集まると、おもちゃの銃や鉄かぶとをかわりばんこで手にし、「敵前上陸!」や「前進!」と甲高い声で叫びながら、兵隊の突撃のまねごとをしていた。  ある週末、女性教員が姉の家を訪ねに行く途中でも、その遊びに興じる少年たちを見かけた。本当ならば、何も言わずに通り過ぎるはずだった。ところが、掛け声に思わず彼女の足が止まった。 ――クサイシナ人ヲヤッツケロ――  よくよく見れば、様子が少々おかしかった。少年たちは、一ヶ所に集まって何かを取り巻きにしている。彼女が後ろから近づくと、何と一人の少年を地面にひざまずかせ、その両腕を二人がかりでねじりあげていた。しかも、そのあごに、別の少年がおもちゃの銃までつきつけていたのだ。  彼らが、拷問か処刑の場面を模しているのは、明らかだった。  さらによく見れば、自由をうばわれ、銃をつきつけられているのは、彼女のクラスの生徒。クラス内でいちばん身体の小さい宮野明だった。そして、その宮野のあごにおもちゃの銃を突き付けているのは、ほかならぬ宮野のイトコであった。  彼女が少年たちを背後から一喝すると、小学生たちはクモの子を散らすように逃げて行った。あとには、教員と彼女の生徒だけが残った。 「痛くないが?」  かがみこんだ女性教員は、少年の髪や頬をなで、ほこりや砂をぬぐってやった。すると、それまで無表情だった宮野明が、とまどったような顔になり、それからようやく泣きだした――。 「――あとから思えば。優しくされることに、慣れていなかったんじゃないかと思います」  宮野少年の見せた反応について、女性教員はそう言った。 「周りにひどい目に遭わされるのが、当たり前になりすぎていたから。宮野の置かれている境遇に気づいてから、私はできるだけあの子に目を配って、声をかけるようにしました」  最初、緊張しぎみだった宮野明も、話す回数が増えるにつれて、女性教員に少しずつだが心を開いていった。しかし、次の年には彼女は他のクラスを受け持つようになり、関係は自然と疎遠になっていった。 「六年生を卒業した後、イトコは高等科(現在の中等教育に相当する)に進みましたが、宮野はすぐに工場に働きに出たんです。最後にあの子を見たのは、富山の街中でした。相変わらず、背は低くて、粗末な服を着ていて……それでも私に気づいた時に、笑ってくれたんです」 「カトウ……宮野明が、アメリカに渡ったのはそのすぐ後ですね」  サンダースがコバヤシを介してたずねると、女性教員は口元を少しこわばらせた。 「…そのことですが。実はお二人がいらっしゃるまで、私は宮野がアメリカに行ったなんて、ちっとも知らなかったんです。それどころか……あの子はとうの昔に亡くなったと、思っていました」  その言葉に、サンダースは眉をひそめた。教員は事情を説明した。 「宮野と最後に会ってから、何年かあとのことです。イトコの方と話をする機会があった時、宮野のことを聞いたら、びっくりした顔をされました。その時に確かに、言ったんですーー」 ――明のやつは大阪に働きに出たはいいが、発狂して、だいぶ前に自殺した―― ――事情が事情だから、葬式もあげていない。宮野の家の恥だから、どうか他の人には話さないでくれ――   持参したカトウの写真を、サンダースはあらためて眺めた。  アメリカ陸軍の軍服を着た二人の日系二世(ニセイ)が写っている。いずれも二十歳前後の若者だが、身長の差がずい分ある。 「なんだか立ち姿の感じといい、婚礼写真みたいですね」  写真を見た時、コバヤシはそんな感想をもらした。聞いたサンダースは「そんなばかな」と思ったが、今見ると確かにそんな風に見えるから不思議だ。  背の低い方は、一見してカトウと分かる。背の高い青年については、現在、照会中だ。二人は仲がよかったのだろうか。そうであればこの青年の口から、訓練兵時代のカトウについて個人的に知っていることを聞き出せるかもしれない。  もし、このノッポの青年が死んでいなければの話であるが。  女性教員は写真を手に取り、ぽつりと言った。 「今になって思えば。宮野の家の者は、死んだことにしたかったんでしょうね。あの頃は……その、アメリカに親類のいる家は、すぐに憲兵ににらまれる、そういう時代でしたから。アメリカと戦争が始まってからは、特にそうでした」 「宮野明の伯父一家は、今も市内に?」  教員は少し記憶をたどる素振りを見せたが、すぐにゆるゆると首を振った。 「ご存知かと思いますが。富山の街は四十五年八月の空襲で、かなり焼けてしまいました。他所に疎開した者も多くて……あいにくですが、どうしているかは存じ上げません」 「そうですか」 「ずい分、死んだんですよ。宮野や、その前後の学年の子は。私が知っているだけでも、八月の空襲の時に二人やられて。嫁いだ先で、亡くなった子もいました。それから、兵隊にとられて、南方に行ったきりの子もいます。特攻に志願した子も……」  そこまで言って、教員ははっと口を閉ざした。目の前にいるコバヤシとサンダースの立場を思い出したようだ。  彼女が浮かべた下手な作り笑いは、見ているサンダースの方が痛ましく感じられた。 「宮野は、今どうしています?」彼女はたずねた。 「…連合軍、我々の一員として、立派につとめを果たしています」  サンダースは答えた。自分の同僚であるとは、言えなかった。  それでも、聞いた女性教員はようやく自然な笑みを見せた。 「あの子は、ちょっと強情なところがありますが、根はいい子です。今回、生きていて、元気でやっていると聞けただけでも、何よりです。もしも会う機会があったら、どうか身体に気をつけて、風邪をひかんように、私が言っていたと伝えてやって下さい」

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