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第九章(⑤)

――行こかメリケンよ、帰ろか日本、ここが思案のハワイ国……。    それは、奇妙に哀愁のただようメロディで歌われていた。クリアウォーターが何の歌かと尋ねると、歌い手の青年から「ホレホレ節ですよ」という答えが返ってきた。 「サトウキビ畑で畑仕事をする日系人が、よくこの歌を歌うんですよ。ミィが小さい頃にも、頭がぼけちゃった近所のばあちゃんが、子守唄がわりに歌ってくれました」  マックス・カジロ―・ササキ軍曹はそう言って、コップの底に残るビールの数滴をくいっとあおった。ハワイ準州のオアフ島出身のどんぐり眼が特徴的な青年は、同僚のジョージ・アキラ・カトウ軍曹より一つ上の二十三歳。一九四一年十二月、オアフ島にある真珠湾が、日本軍によって攻撃された時は、まだ十八歳であった。  ササキの両親は、オアフ島にあるサトウキビ畑のプランテーションで低賃金で働く移民の一世だった。ジョン・ヤコブソンと同様に、ササキにも多くの兄弟がいる。上に兄がひとり、姉がふたり、そして下に妹がふたりという構成だ。 「ミィはいいって言ったんですけど、親父と兄貴が無理をして高校まで行かせてくれたんです。そうじゃなかったら、語学兵になることもなかったと思います」  ルーズベルト大統領が日系人の戦闘連隊を結成すると発表した一九四三年一月、ササキは友人たちと語らって徴兵局へ志願に行ったが、あいにく一人を除いて全員が落とされてしまった。というのも、この時、ハワイ準州に割り当てられた一五〇〇人の定員枠に対して、一万人もの日系男性が応募につめかけたからである。当時、ハワイ準州の日系人人口が十六万人程度だったことを考えると、驚くべき比率だった。結局、割り当ては増加され、最終的に二千六百人が登録されて本土の訓練基地へと向かうことになったが、ササキがその中に含まれることはついになかった。  落ちたササキはしばらくの間、意気消沈していた。しかし、まもなく新しい報せが舞い込んできた。陸軍が今度は、日本語のできる語学兵を募集しているというのだ。ササキは高校時代の恩師に頼んで連絡をつけてもらい、簡単なテストを受けた結果、今度は採用された。  人生で初めてハワイ諸島から、さらには親兄弟の元から離れたマックス・カジロ―・ササキ青年は、本土(メイン・ランド)にわたり、ミネソタ州にある陸軍情報部語学学校で、半年の課程を終えた。聞き取りが苦手だったため、成績は中ほどに留まったが、日本語の速読と英訳に関しては出来がよかった。  卒業後、ついに前線に配属されるという期待と不安に、ササキの胸はふくらんだ。  ところが。辞令が下って配属された先は、なんと故郷であるオアフ島であった。そこで、日本軍から鹵獲した文書の翻訳や、たまに捕虜として送られてきた日本兵の尋問に当たることになった。 「最初こそ、へそを曲げましたけど。その内、これでよかったのだと思うようになりました」  時々、家に帰れるし、毎週末ともなれば、両親のどちらかか、兄夫婦か姉夫婦かがやって来て、近所の中華レストランでごちそうしてくれたからだ。  少年がそのまま成長したかのように、陽気でおしゃべり好きな青年。それがマックス・カジロー・ササキ軍曹だ。  しかし、その裏に隠された苦労があることを、クリアウォーターはすでに知っている。ササキは給料のかなりの部分を、家族のもとに仕送りしていた。入院している父親の治療費としてだ。父親はがんであり、難しい手術をしなければ、半年の命だと宣告されていた。 「――話を聞く限り。ササキは、早急に金が必要なようですね」  サンダースの指摘に、クリアウォーターは慎重に応じた。 「緊急性や額の大きさは、必ずしも容疑の濃度をはかる尺度にはなりえないよ」  人間は時として、驚くほど少額の金のために人を殺す。あるいは充足していても、飽くなき欲望を満たすために、無実の人間に平気で罪を着せることだってあるのだ。  かつてスティーヴ・サンダースを陥れた男たちが、まさにそうだった。  

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