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第九章(⑨)
着がえてカトウが最初にしたことは、U機関に電話を入れることだった。
「――なるほど。俺もいい考えだと思う」
電話に出たアイダは、カトウから話を聞いてそう賛意を示した。
「すぐにジープで横浜まで送ってやりたいところだが。あいにく俺の腕は今、車のハンドルを握るには、ちょっと不都合だからな。カトウ、お前さんジープの運転は?」
「……大昔、ものは試しと運転席に座らされましたが。十分後にため池に水没させて以来、ハンドルは握っていません」
聞いたアイダは、可笑しそうに笑った。
「三百メートル先の鍵穴を撃ちぬける奴が、意外に不器用だな」
「いえ。そこまでの精密射撃は、さすがに……」
無理か? やれと言われれば、とりあえずやるが。
もちろん、射撃の方をだ。
「運転手が必要なら、ササキに頼んでやろうか?」
「いえ。そちらの仕事にも、人手がいるでしょうから。列車を使って行きます」
「分かった。じゃあ、クリアウォーター少佐にそう報告しておく」
「お願いします」
「…カトウ」
「はい?」
「人ごみは極力、避けろよ」アイダは乾いた声で忠告した。
「俺がこの国で、誰かを狙う立場なら。夜ではなく昼間を、人のいないところではなく、人ごみにまぎれる」
その言葉に、カトウは虚を突かれた。
「いえ、命を狙われているのは少佐では……?」
浮かんだ疑問をそのまま口にすると、「バカ野郎」のひと言が返ってきた。
「逃げた連中の仲間を墓場にまとめて叩き込んだのは、どこのどいつだよ。もし、奴らのひとりでも、お前さんの顔を覚えていたら? ――あの手の連中は執念深い。お前さんのことも、暗殺リストに追加してるやもしれんぞ」
「………」言われるまで気づかなかった。
「恐くなったか?」アイダが訊ねる。
カトウは少し考えてから、正直に答えた。
「……いえ、あんまり」
兵士の心が、どこかでつぶやく。最初の一撃で撃ち殺されたら、それまでだ。
だけど、敵が最初の一撃を外したならば――カトウは必ず、撃ってきた相手を射殺する。
自信ではなく、それは事実だ。たとえ、後で吐くほどに気分が沈むとしても。自分や仲間を殺そうとした人間を見逃すことは決してない。
そういう風に、カトウは形作られた。過剰なほどの訓練と、それに倍する時間を、戦場で過ごしたことによって。
皮肉っぽい響きの笑い声が、電話口から漏れ聞こえた。
「安心したよ」
そうつぶやいて、アイダは電話を切った。
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