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第九章(⑭)
横浜に到着した後、カトウは駅に近い食堂で、ようやくまともな食事にありつけた。食べ終えて、駅前でタクシーを拾う。それからヤコブソンが入院している病院に向かった。
「すみません。ジョン・ヤコブソン軍曹の病室は……」
フェルミを待合で待たせ、受付でたずねるカトウの声に、女性の悲鳴が重なった。
直後、聞き覚えのある看護士の声が、待合の方から聞こえてきた。
「病院内で患者を刺激するふざけた行為は禁止です! すぐに、その変なお面を取りなさい!!」
チョコレートバー八本を犠牲にして手に入れた「マスク」を外すように命じられて、フェルミはふてくされた。頬までふくらませて、本当に幼児のようだ。
ベッドの上で所在なげにしていたヤコブソンは、カトウとフェルミの突然の来訪を、素直に喜んでくれた。
「昨日、手術して弾の破片を取り出したばかりでさ」
包帯の巻かれた腕を、ヤコブソンは示した。
「うわあ、痛かった?」
恐る恐る聞くフェルミに、ヤコブソンはにいっと笑う。一度見たものを、写真のように脳内に記憶する――カメラ・アイを持つ男は、そのたぐいまれな記憶力を駆使して手術の様子を描写し始めた。
「おう。まず、腕をアルコールで入念に拭かれてな。麻酔の注射をぷすっと刺された。しばらくしたら、医者がぎらぎらに磨いて、アルコールで消毒したメスを取った。そいつを俺の左腕に突き刺して……」
「うわー、うわー。もういい、もういいよ!!」
悲鳴を上げて耳をふさぐフェルミに、ヤコブソンはゲラゲラ笑った。笑いすぎて傷にさわったらしく、「あ、痛ててて…」と顔をしかめる。それでもフェルミと、そしてカトウに向かって「わざわざ見舞いに来てくれて、ありがとうな」と付け加えた。
カトウは肩をすくめ、そばで震えているフェルミをひじでつついた。
「単に見舞いに来ただけじゃない。実は、やってもらいたいことがあるんだ」
「やってもらいたいこと?」
ヤコブソンが首をかしげる。カトウは立ち上がって、サイドテーブルに置かれた花瓶を邪魔にならない床の隅に移した。その間に、フェルミがテーブルの空いた空間に、背嚢から取り出した袋を並べた。
袋には「目」「鼻」「口」「耳」と書いてあった。
フェルミはお盆を取り出すと、口を開けた「目」の袋をその上で逆さにした。
すると袋の中から小さな紙のきれはしが、ぱらぱらと盆の上に落ちてきた。小山になったきれはしにヤコブソンが思わず手を伸ばす。
ひとつを引っくり返すと、小さな二つの眼が彼の方を見返してきた。
「これ……写真を切ったのか?」
「うん。模写のために、ダンがくれた日本人の写真を全部、切ったんだ。目と、鼻と、口と、耳、それに額のパーツに」
フェルミは土曜日の一日をつぶして、黙々とその作業に没頭していた。写真は百枚以上あり、終わる頃には、夜中近くになっていたという。
「ジョン・ヤコブソン。逃げた三人の顔は、まだ憶えているよね」
「ああ、ばっちりだ」
カメラ・アイを持つジョン・ヤコブソンは、一度見たものは絶対に忘れない。記憶が薄れたり、曖昧になることもない。フェルミはそれを聞いて、うれしそうに笑った。
「ここに約百人分の顔のパーツがある。これだけあれば。互いを比べて、逃げた三人の顔に一番近いパーツを探せるよね?」
「…なるほど。考えたな」
ヤコブソンは感心したようにうなった。
アメリカ生まれアメリカ育ちのヤコブソンには、日本人の顔を細密に描写する能力が欠けている。だが頭の中にある映像と比較して、一番、形が近い目鼻を指さすことは可能だ。
「要は。逃げた三人の顔にそれぞれ一番近いパーツを探して、並べりゃいいってことか?」
「そういうこと」
フェルミは背嚢からスケッチブックを取り出した。
「そして出来上がったものを、ぼくが絵に描くってわけ」
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