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第十章(④)
ブリスベンで殺害された軍人二人の解剖所見の写しと引き換えに、クリアウォーターは増田豊吉の司法解剖報告の写しをソコワスキーから得た。そしてU機関の自分の執務室にもどるなり、キャビネットにある『ヨロギ』のファイルを取り出して、机の上に広げた。
ーー増田豊吉の司法解剖を行った医者からあとで裏づけを取る必要があるが……。
だが今、資料を並べて見比べてみれば明らかだ。殺害方法も、その際に使用されたと推測されるナイフの形状もあまりに酷似している。増田豊吉が、貝原靖を殺害したのと同じ人物に葬られたことは、ほとんど疑いえなかった。
――『ヨロギ』の毒牙にかかった者は、少なくとも四人になった。
クリアウォーターはペンを取ると、不要になったタイプ用紙の裏に思いつくままに書きつけた。
…………
一九四四年一月十九日 場所:クイーンズランド州ブリスベン市
被害者:エドワード・マッカートニー大尉
ニコラウス・L・ヘラー曹長
一九四五年十月五日 場所:東京都八王子市
被害者:増田豊吉(元S通商社員)
一九四七年三月十二日 場所:東京都文京区
被害者:貝原靖
殺害方法:いずれも鋭利なナイフによる刺殺。背後から不意をついて急襲。
殺害時の前後状況:アメリカ陸軍軍人両名は、日系語学兵の中にまぎれていたと推測され
る日本軍のスパイ『ヨロギ』を捜査している最中に殺害された。
:増田豊吉は一九四五年八月、関東軍の生阿片を着服し、大連から煙台
に輸送。その後、当人は帰国したが、生阿片が日本国内に持ち込まれ
たかは不明。
:貝原靖は関東地方に流通する麻薬の出所を突きとめるために、売人た
ちを調査していた。
…………
生阿片。関東に流通する麻薬。クリアウォーターは紙に書きなぐった。
『増田豊吉が手にした生阿片は、どこに消えた?』
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