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第十章(⑮)

――迎えた二日後。  天気は、朝からずっと曇りであった。この日、都内の中野市場では、武装した日本人警官が大規模な摘発を行った結果、トラック三台分の主食や禁制品を押収された。また宮城の外堀では、学生帽をかぶり、肩かけカバンを下げたあどけない少年たちが釣りをする姿が撮影され、翌日の新聞に掲載されている。どちらも、食糧配給の遅れと慢性的な食糧不足を端的に物語る出来事だった。  それと対照的に、この日の夜遅く、占領軍がとある反社会集団に対して行った「緊急捜査」については、事前に念入りな報道規制が敷かれたこともあり、関係者以外にほとんど知られることはなかった……。  三十間堀川をはさんで銀座を望める木挽町の一角に、若海義竜(わかみよしたつ)の屋敷はあった。敷地を取り囲む高さ二メートルほどの塀は、さながら刑務所のそれを連想させたが、二階建ての日本家屋は「御殿」と呼ぶにふさわしい豪壮な造りである。庭はまだ整備の途中らしく、あちこちにはしごや縄が置かれたままだ。敷地内にはさらに土蔵が設けられていて、危急の時に用いる銃火器が密かに保管されていた。  午後十一時。明日、火葬場へ向かう頭目の――否、の若海義竜の棺を前に、十数人の幹部による話し合いが続いていた。  昨日から続く話し合いの議題は、突きつめればただ一つだった。すなわち、いったい誰が若海義竜の跡目を継いで、若海組を率いていくかーー。 「……頭目のカタキを討った男がなれば……」 「……これまでの仕事ぶりを考えれば、そちらが譲るのが筋というもんで……」 「……白蓮帮との抗争は避けられん。それを考えれば……」  若海義竜は若年ながら、命知らずな振る舞いとそのカリスマ性で、荒くれ者たちを統制していた。いわば、扇のかなめのような存在だった。そのかなめが失われた今、まとめられていた骨組みはばらばらになり、扇としての形を失った状態にあった。  まさにその時に、対敵諜報部隊(CIC)のセルゲイ・ソコワスキー少佐が、一個中隊規模の兵士を動員して、若海組に対して急襲をかけさせたのである。  若海組の幹部たちが時ならぬ喧騒に気づいた時、トミー・ガン(短機関銃)で武装したアメリカ陸軍の兵士たちは、すでに屋敷の内部に侵入を果たしていた。 「両手を頭の上にあげて、ひざまずけ!!」  兵士たちは、各部屋のふすまを蹴破っては、英語とそれから日本語で、命令を繰り返した。  突然、乱入してきたアメリカ兵たちを前に、若海組の者たちは肝をつぶした。あとで分かったことだが、彼らのほとんどは、若海義竜の命令を受けた身内が、アメリカ軍関係者の乗るジープを襲撃した事実を知らなかった。  彼らの頭を占めていたのは、頭目の殺した下手人におとしまえをつけること、そして今後、白蓮帮をはじめとする敵対勢力の攻勢をいかにしのぐかであった。アメリカ軍の突然の襲来など、まさに青天の霹靂以外のなにものでもなかった。  それゆえに、当初、懸念されていた抵抗は、予想されたよりずっと少なくて済んだのである。この一件での唯一の死者は、廊下の角から撃ちかえしてきた男で、その場で射殺された。後の捜査によって、この男は、クリアウォーターたちを襲撃した実行犯の一人だったことが判明する。  さらに庭に跳び出して、武器が保管された土蔵に駆け込もうと試みた者たちが数名いたが、こちらは塀の外側からの威嚇射撃を受けると、その場で抵抗を断念した。ちなみに、トラックの荷台の高さと機動力を利用し、塀の外に遊兵を置くことを提案したのはU機関のジョージ・アキラ・カトウ軍曹であった。この提案は見事に当たり、後日、カトウは先輩格であるアイダ准尉から、「お見事」と称賛されることになる。

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