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第十章(⑯)

 こうして作戦開始からわずか二十分後に、屋敷内は完全に制圧された。  拘束された若海組の幹部たちは、襲撃者たちが乗って来た灰緑色のトラックにつめこまれ、用意された留置先に移送された。居合わせた構成員たちも順次、同じように運ばれていく。  その合間をぬって、ダニエル・クリアウォーター少佐はソコワスキー少佐、サンダース中尉、カトウ軍曹らと共に、屋敷内に入った。サンダースが拳銃を、カトウがトミー・ガンを手にし、さらに付き従うソコワスキーの部下も思い思いの火器で武装している。  前を見つめて歩きながら、ソコワスキーがクリアウォーターに聞く。 「(モー)という男からの密告にあった生阿片(しょうあへん)は、本当にこの屋敷に隠されているのか?」 「まず確実だと思う」クリアウォーターは答えた。 「莫後退(モー・ホウドゥエイ)がひそませていた密偵は、隅田川から数キロ先の外海まで出られる小型船の手配をまかされていた。隅田川は、ここから目と鼻の先だ。それにね。大事なものは、できることならなるべく手元に置いておきたいと思うのが人間の心情だ」 「つまり?」 「この世で一番安心できる隠し場所は、自分の家の自分の部屋ということさ」  屋敷の見取り図を頭に入れているクリアウォーターは、迷いのない足取りで奥に進む。若海が寝起きする和室は、出入口からもっとも遠い所にしつらえてあった。  電灯に照らされた十二畳ほどの室内は、妙にがらんとして見えた。窓は鎧戸(よろいど)が下ろされ、そのそばに書き物机と座布団が片づけられている。そして部屋の中央、まだ新しい畳の上に黒いシミが残されていた。  それが、この部屋で起こった惨劇を物語る唯一の痕跡であった。  莫の密偵が語るところでは、若海はこの部屋の布団のなかで死んでいたそうである。運び出される死体についてはちらりと目にしただけだったが、血は髪と顔についていて、着物はさほど汚れていなかったという。  幸い、若海の死体はまだ棺の中にある。解剖さえすれば、ある程度、死因が特定できるはずだった。  すでに若海組の人間の手で片づけられたとはいえ、殺害現場をあまり荒らしたくはない。部下たちを部屋の外に待機させ、クリアウォーターとソコワスキーだけが靴を脱いで室内に入った。  血痕から少し離れたところに立ち、クリアウォーターは室内をぐるりと見わたした。 ――壁の中?……ノー。 ――天井裏?……ノー。 ――畳の下?……保留。 ――床の間……………。  クリアウォーターは、床の間に飾られた花を凝視した。 「…ソコワスキー少佐。君は日本の『生け花』に詳しいかい?」 「なんだそれは?『生けす』の一種か?」 「…今の答えで、君が日本の伝統文化に対して興味も知識もないと、よく分かったよ」 「! やかましい!」 「怒らないでくれ。私もさほどくわしいわけじゃない。ただ、花を生ける時にまつわるルールがいくつかあってね。たとえば、調和のとれた美しさを演出するために、それぞれの枝の長さの対比が決められている。また、花の『表』を観賞者によく見えるように生けるのが基本だ」  クリアウォーターは床の間の前でひざを折り、花びらをつまんだ。 「この花は『裏』を鑑賞者側に向けている。本来はこんな風に――」  言いながら、花器を百八十度回転させた。「『表』を向けなきゃいけない。これを動かした誰かさんは、君と同じで生け花に疎かった。だから、うっかり逆に置いてしまったんだろう」  クリアウォーターは花器をつかみ、それを畳の上に置いた。  それから床の間のへりをつかんで力をこめた。すると、本来持ちあがらないはずの部分が、まるで(ひつ)のふたのようにギギッときしみをあげて動いた。ソコワスキーが思わずそばに寄り、手を貸す。  二人ががりで外した板の下をのぞきこみ、クリアウォーターはつぶやいた。 「…当たりだ」  隠されたその空間に、梱包された紙包みがびっちり並んでいた。ソコワスキーが無言で包みの一つをつかんで破く。そこから、黒いアメのような塊をつまみ出した。  生阿片であった。

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