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第十一章(⑤)

 部下に指示を出すために執務室を出て行ったソコワスキーは、十分ほどで戻って来た。  頭をひとつ振り、クリアウォーターは気持ちを切りかえた。 「――先ほどの続き。ここからが肝心な話だ」  緑の瞳で、ソコワスキーを見すえる。 「君の部下の中から尾行に長けた人間を選んで、今夜からでもU機関のメンバー全員を見張って欲しいんだ」 「全員って……ずい分、簡単に言ってくれるな。何人いるんだ?」 「サンダースとカトウも含めて七人だ。その内の一人は襲撃を受けた時に負傷して、横浜の病院にまだ入院している」 「…ジョン・ヤコブソン軍曹か」  クリアウォーターはそれを聞いて「おや」と思った。 「君たち、知り合いかい?」 「…別にたいした知り合いでもない」  ソコワスキーはむっとした顔で言う。  妙にムキな口調の裏面に、何やらありそうな匂いをクリアウォーターはかぎとった。だが賢明にも、口に出さぬことを選んだ。 「第八軍にいた時に、組んで仕事をしたというだけだ」 「ああ、なるほどね」  ヤコブソンが余人の追随を許さぬ記憶力を買われて、第八軍の司令部に勤めていたことは、クリアウォーターもよく知っている。  ソコワスキーは続けた。 「あいつは単純だが、裏表のない奴だ。おまけに兄貴二人は日本軍に殺されたんだ。そんな奴が、日本のヤクザと通じて裏切り行為を働くとは到底思えん」 「私もそう思うよ」 「なら……」 「ヤコブソン軍曹だけじゃない。サンダース中尉も、カトウ軍曹も――ニイガタ少尉も、アイダ准尉も、ササキ軍曹も、フェルミ伍長も、亡くなったニッカー軍曹も。誰ひとりとして、私を裏切って殺そうとするなんて信じられない。ーーいまだに、信じられないんだ」 「………」 「それでもね。誰かが、若海組に情報を流した。銃に撃てない細工をほどこしてまで、私を殺そうとした。それは、変えようのない事実だ」  クリアウォーターは苦い吐息をつく。 「例外はもうけない。全員を見張ってくれ」 「…いいだろう」ソコワスキーはうなずいた。 「しかし、いつまで続ける? 人数が人数だから、あらかじめ期間を決めておかないと収拾がつかなくなる。こっちの人員も無尽蔵というわけではないからな」 「早ければ、三日以内にケリがつく」  クリアウォーターは静かな確信を込めて言った。 「つまりね。若海組への急襲が成功に終わったら…」 「絶対に成功させる」 「…成功したあと、私はその情報をすみやかに部下たちに伝えるつもりだ」 「は? なんでまたそんな……」  言いかけて、ソコワスキーの表情が鋭く引きしまった。赤毛の同僚を見やる青灰色の両眼に、相反する感情が宿る。嫌悪と、そして感嘆――。 「悪魔並みに奸智に長けた男だな、貴官はーー」  ソコワスキーは唇をゆがめた。 「若海組の連中を根こそぎ拘束したら当然、尋問が行われる。そうなれば、そいつらの口から、貴官のもとにひそんでいる裏切り者の正体がばれる公算が高い。やつにとっては身の破滅だ」 「その通り。そして、その状況に追い込まれれば、彼が取れる手段はほぼひとつしかないーー尋問がはじまって自分の正体が暴露される前に、逃げ出すことだ」 「あるいは、自殺するかだな」  ソコワスキーの指摘に、クリアウォーターは黙然とうなずく。 「――自殺されてしまったら。裏切り者がどうしてこんな真似をしたか、その動機が分からなくなる。だから、何としても見張っている人間には、生きたまま拘束して欲しいんだ」  その言葉に、ソコワスキーは軽く目を細める。 ――…単純に。そいつに死んで欲しくないっていう(つら)だな。  悪魔のようにずる賢いかと思えば、妙なところで甘い部分がある。ソコワスキーにとって、その甘さはクリアウォーターを嫌う理由のひとつだ。  そして同時に――そういう一面があるからこそ、この赤毛の男を徹底して畏怖したり、軽蔑したりできないのだった。

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