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第十一章(⑩)

 ……当初、ソコワスキーに頼んでU機関の人間を見張らせた目的は、裏切り者の逃亡と自殺を阻むことであった。しかし唯一、自分の正体を知る若海義竜(わかみよしたつ)を殺害し、若海組の構成員の口から正体が露見する気づかいがないのであれば、逃げ隠れする必要はない。むしろ、そんなことをすれば周囲の不信感を買い、逆にクリアウォーターたちに確信を抱かせるだけである。  ーーこれが、クリアウォーターとソコワスキーが達した結論だった。  こうして見張る理由がなくなったことで、U機関メンバー七人への監視はひとまず解かれることになった。 「第一、七人の人間を何週間も見張れるほど、人員に余裕もないからな」  ソコワスキーはそう言ってから、つけ加えた。 「……ただし、アリバイのない二人については監視を続ける」  クリアウォーターはすぐに答えなかった。論理的には、ソコワスキーのやり方は正しい。  あやしきものは疑え。決して油断をするなーー。 「……クリアウォーター少佐」 「うん?」 「正直な話、二人の内、どちらが裏切り者の可能性が高い? 日本人のヤクザと通じて、情報を売りわたし、それを貴官に気づかれないくらいに巧妙にやってのけられるのはどっちだ?」  クリアウォーターは無言で、問いを発した相手を見やった。  ソコワスキーにとって、答えはすでに出ているようだった。  彼の思考回路においては、当然というべき帰結。 ーー日本人の起こした犯罪には、彼らと同じ血を引く者が関わっているーー     クリアウォーターのこめかみが、鈍い痛みでうずいた。めまいのするような既視感(デジャブ)を覚える。 ーー日本人の起こした戦争には、日系人たちが関わっているーー    真珠湾攻撃からずっと、新聞の、ラジオの、街行く人々の口にのぼっていた言葉が、過去の墓場からよみがえり、クリアウォーターの鼓膜をざわめかせる。 ーー「ジャップ」はしょせん「ジャップ」だ。永遠にアメリカ市民にはなりえない。裏切り者で、スパイだ――――。  クリアウォーターは痛みを和らげようと、こめかみをもんだが、あまり効果はなかった。 ――心がくじけそうだな。  何が一番、こたえるかと言えば。戦時中すぐにできた反論が、今できないということだ。  誰かが、裏切り者である現実。そして、疑いの晴れない部下が二人。  その内の一人は。屋敷に忍び込んで、就寝中の人間の首を掻き切ることをやってのけるだけの技能を持ち合わせている……。 ーー嫌になるな。でも……。  クリアウォーターは深呼吸した。 ーーこれが、初めての経験というわけでもない。  自身の過去を見わたせば。  背かれたことはある。裏切られたこともある。失望したことも、絶望したことも――。  そしてクリアウォーターもまた、誰かを失望させ、絶望させ、裏切って、背いてきた。  茨の道――というと大げさすぎる。だが、平坦で歩きやすかった道でもない。それでも言えることがあるとすれば――途中で逃げずに、ひたすら歩いたから、今があるということだ。  今の自分――ダニエル・クリアウォーターという人間が。 ーー諜報というものは、疑うことが仕事だ。そして信じることも、仕事の一部だ……!  二度目の深呼吸する。それから顔を上げ、ソコワスキーの目をはっきりと見つめた。 「ソコワスキー少佐。アイダとフェルミのアリバイを、私が証明できたら。二人の監視を解いてくれると、約束してくれないか」  ソコワスキーは虚をつかれたようだった。その顔はすぐに、不審と疑心で彩られた。 「…何か、考えるところがあるのか?」  クリアウォーターは、いつもの表情で応じた。  ソコワスキーの苛立ちをかきたてる、あの笑顔で。 「まあ、多少はね」  ソコワスキーは盛大に眉をしかめた。そうやってにらんでいれば、クリアウォーターの本心の片鱗でも見えるのではないか、というように……。  もちろん、見通せるはずもなかった。  笑顔はクリアウォーターにとって、本心を隠す一番堅固な仮面だ。そのことを、ソコワスキーもよくわきまえている。クリアウォーターが本気で何かを隠そうとすれば、おそらく誰にも見破ることができない。  もし、そんな人間が存在するなら、お目にかかりたいくらいだった。  半白の髪をかきまわし、ソコワスキーは苦々しい顔で白旗をあげた。 「…いいだろう。狡猾な貴官のことだ。せいぜい結果を期待している」

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