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第十一章(⑬)
そのひと言を聞いて、カトウは思わずクリアウォーターの方を振り返った。
クリアウォーターはカトウにだけ分かるくらい、かすかに目くばせを返した。
「…それで、手伝いに行ったのかい?」
クリアウォーターは穏やかに尋ねる。カトウの話す日本語も同じように落ち着いていた。
「はい。家内と娘を宿に残して、私と長男、それから店の従業員が行きました」
「どんなものを運んだんだ?」
「それが、大きなドラム缶だったんですよ。ひどく重くて、持ち上げるのも大の大人が三、四人がかりで、ようやく運べたくらいです。しかもひとつ、ふたつじゃなくて百個くらいあったんじゃないかと思います」
文谷はごま塩頭をぼりぼりかいた。
「まあ奇妙奇天烈な話で、にわかには信じられないかもしれませんが…」
「いいや、信じるよ」
力づけるように、クリアウォーターは先をうながした。
「それで、ドラム缶の中には何が入っていたんだい?」
「いやあ。それは……」
文谷は言いよどむ。クリアウォーターはその様子を見て、切り札を切った。
「若海の屋敷から生阿片が押収されたが、ドラム缶の中身はそれだったんじゃないのかい?」
文谷がびっくりした顔つきになる。クリアウォーターは「当たりだね」と言った。
文谷は観念したように、長く息を吐いた。
「――ええ、おっしゃる通りです。こっそり若海さんが教えてくれました。その生阿片を内地 に持ち帰って、軍資金にするつもりだと。ドラム缶は何隻かの船に積まれて、煙台へ、それから青島 に運ばれました。その青島であたしは日本の敗戦を知ったんです。若海さんたちと別れたのも、そこでした」
「だけど君は日本に帰った後、若海と再会した」
「はい。あたしたち家族は苦労して帰ったものの、内地には頼れる親族もおらず、持ち金も底を尽きかけていました。そんな時、ひょんなことから若海さんが東京で任侠者になっていることを知りまして……断られて元々と思い、会いにいったんです。あの人はあたしを歓迎してくれただけでなく、自分のシマに店まで出させてくれました」
「一介の知り合いに対して、ずい分な厚遇だ」
「……お隠ししても、仕方がない。実は新京にいた頃から、あの人はあたしの娘にちょくちょく会って、何かと贈り物をしていました。ずい分と、気に入ってくれていたんです」
その言葉に、クリアウォーターはかすかにうなずく。
すでに他の構成員への尋問を通して、文谷徳治の娘、二三代 が若海の事実上の愛人であったことをつかんでいた。
文谷二三代は普段から、若海の屋敷で起居を共にしていた。しかし事件のあった日は、体調を崩した母親を見舞うために、昼前から実家に戻っていたのである。そして夜には再び屋敷に戻ったが、普段の夕食の時間を過ぎていたにも関わらず、若海はいまだに眠っていた。
そこで様子を見に行った結果、布団の中でこと切れた男の亡骸を見つけた次第だった。
連絡を受けてかけつけた文谷は、動転する娘を家に連れ帰り、静養させることにした。二三代は若海の葬儀に何とか出席したものの、それも短い時間で切り上げざるを得ず、今も実家で臥せっている状態だった。
「ーーあたしは娘のことがあって、若海さんに引き立ててもらっただけです。それもあって、あの人のやることには一切、口出しすまいと心に決めていました。何といっても、あの人のおかげであたしら家族は、人並みの生活を送れるようになったのですから」
「それでも、色々、話は聞かされていたのではないんじゃないかい?」
「……若海さんにとって、あたしはいまだに『山桜』のおやじだったんでしょうね。ええ。他の人には聞かせられないことも、あたしにはずい分、話してくれたと思います」
「グチの聞き役というところか」
「ええ、そんな感じで。『ナビキ』という奇妙な名前のこともそうですし、人を殺した話も……もっとも、人殺しの告白に限っては、あれきりでしたが」
「関東軍時代の若海について、もっと何か知っていることは?」
「申し訳ありませんが、あまり……」
言いかけて、文谷は何かを思い出す表情になった。そして、
「同級生」
ぽつりとつぶやいた。
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