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第十一章(⑭)

「いえね。少し前に、若海さんが夜遅くに一人で私の店にいらしたことがあったんです。もう看板の時間でしたが、もちろんお上げしました。私たち家族や店の様子をお聞きになって四方山話をした後、話のはずみでどちらにお出かけになったか聞いたんです。そしたら――」  「ーーなに、ちょっと昔、同学だった同級生に会って来たんだ」  「おや、それはよかった。旧いご友人となら、さぞ積もる話もあったでしょうね」   若海はそれを聞いて、口元をゆがめた。  「友だちじゃあない。そんなんじゃないんだ」  「え?」  「そうだな。敢えて言うなら、競争相手だ。座学、実技、それに学校の外での悪い遊び。   嫌味なやつでな。どれ一つとっても、俺は勝つことはできなかった」   若海はそう言ってグラスを傾けた。路上に売られているカストリ酒とは違う、本物のウイ  スキーだ。若海自身が文谷に与えた洋酒の一本で、本当なら目の飛び出るような値段がつ  く。若海がどういう経緯でこれを手に入れたか、なぜそんな金を持っているか、文谷は聞  かない。余計なことを尋ねず、自らのことは聞かれなければ話さない。   この初老の男のそういうところを、若海は一番気に入っているようだった。   グラスを干して、若海は低い忍び笑いをもらした。  「そいつも俺と同じさ。おかしな名前で呼ばれていた。俺が『ナビキ』で、あいつが――」  ……文谷はそこまで話して、ふいに困ったように首をかしげた。 「同級生の方の名前も、例の馬琴の『八犬伝』から取ったという話は憶えているんですが…」  文谷がカトウの方を見た。 「ちょっと、すみませんが。東京の地名を言ってくれませんか?」 「は?」 「いえね。その思い出せない名前を聞いた時に、何だか東京の地名に似ていると思ったのは、覚えているんですよ」  クリアウォーターがうなずいたので、カトウは仕方なく思いつくままに言った。 「…荻窪、宮城前、丸の内、有楽町、巣鴨……」 「ちがいます」 「神保町、上野、日比谷、銀座、新橋……」 「ちがう、ちがう」 「新宿、青山、麻布、渋谷、代々木……」 「あ、それだ」文谷がぽんと手を打った。 「代々木(よよぎ)。そうですよ、同級生の方の名前は――」  文谷は言った。 「『ヨロギ』というんです」

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