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第十一章(⑰)
一日一日がゆっくりと、しかし確実に過ぎ去り、そして再び金曜日がめぐってきた。
若海組構成員への尋問はまだ継続していたが、すでに得た証言を基に、様々な方面で調査が開始されていた。組の組織構造の復元、武器入手の経路の追跡、さらに計画されていた広州への阿片密輸計画の解明――参謀第二部 のW将軍は、ソコワスキー率いる対敵諜報部隊 の捜査班の人数について、正式に増員する決定を下し、関連部署に通達した。それと同時に、これまで尋問のために臨時に横浜・横須賀などから動員されていた人員は、金曜日を最後に本来の職務に戻されることになった。
その結果、クリアウォーターたちU機関のメンバーも、荻窪に引き上げることになったのである。
「――先週から、みんな本当によく働いてくれた」
一階の応接室に集合した部下たちを前に、クリアウォーターは彼らの労をねぎらった。
「今日は全員、定時までには帰るように。週末も原則、出勤はなしだ。十分に休息を取って、来週から引き続き仕事を始められるよう、英気を養ってくれ。ただ万一、緊急の呼び出しがかかった場合に備えて、遠出する場合は連絡がつくようにだけしておいて欲しい――では解散」
ーーーーーーー
クリアウォーターが、サンダースと共に三階への階段を上がって行く。階段の踊り場でその背中をぼうっとカトウが眺めていると、ちょうど踊り場の鏡にスケッチブックを抱えた男が上がってくるのが映った。
逃げようとしたが、間に合わなかった。
「ジョージ・アキラ・カトウ!」
やって来たトノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ伍長は、ぱたぱたと手を振ってカトウの行く手を塞いだ。
「よかった。ちょっと、聞きたいことがあるんだ。時間はかからないから、ぼくの部屋に来てくれない?」
「………」
正直、逃げ出したい。
だが、もちろんフェルミがカトウの心の内を斟酌してくれるはずもない。
カトウは仕方なく、「…分かった」と答え、のろのろとフェルミの後について行った。
U機関にあるフェルミの「仕事部屋」に、カトウは初めて足を踏み入れた。フェルミはおよそ人見知りと無縁の男だが、不思議と自分の部屋に他人を招くことはめったにない。カトウが知る限り、着任初日にササキがここから飛び出してきたのを見たきりである。
そこは、オフィスというよりアトリエと称した方が似つかわしい空間だった。扉をくぐった途端、油絵具のものらしい揮発性の匂いが漂ってきた。足元を見ると、緑や黄色の絵具がそこかしこにカラフルな鳥の糞のようにこびりついている。新聞紙の引かれた机の上には、絵筆と汚れたパレット。そして部屋の中央に置かれたイーゼルに、完成間近らしい小ぶりの絵が立てかけられていた。
それはウィリス・ジープのボンネットに寄りかかり、煙草をふかす男の絵だった。
描かれているのが誰か気づいて、カトウの胸に感傷がこみあげてきた。
茶色の髪に、澄んだ水色の瞳を持つサムエル・ニッカー軍曹が、着くずした軍服姿で、緑を基調とした背景に、ぴたりとおさまっていた。
「――前にサムエル・ニッカーに頼まれたんだ。いつかヒマな時でいいから、肖像画を描いてくれって。でも完成する前に。彼、どこかに行っていなくなっちゃったから」
「…そうだな」
ニッカーが二度とU機関 に戻ってこないことを、カトウはあえて指摘しなかった。
「それでね。彼の家族にわたすことを思いついたんだけど……」
フェルミは珍しく迷っている様子を見せた。
「絵を見たら、家族の人たちに余計に悲しい思いをさせるかな?」
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