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第十二章(⑥)

 受話器を手にしたまま、カトウは固まった。  電話のそばに掛けてある鏡を見ると、そこにみっともないくらいに頬を赤くした男が映っていた。送話口から、クリアウォーターの低いため息が聞こえる。まるですぐ耳元でささやかれているような錯覚を覚え、カトウはたちまち耳まで真っ赤に染まった。 「……きっと、怒っているね」 「いえ………」 ーーそんなことはない。  そう答えたいのに、声帯がうわずってうまく声が出てこない。  カトウが押し黙っていると、クリアウォーターはまた話し出した。 「…この前のことも。急に抱きついたりして、さぞかし君に不快な思いをさせたと思う。何のなぐさめにもならないだろうけど、謝らせてくれ」  違う、とカトウは叫びそうになる。  その時、カトウの目が、風呂場の方からやって来る顔見知りの姿を捉えた。  よりにもよって、マックス・カジロ―・ササキ軍曹だった。  シャワーを浴びた後らしく、ササキはさっぱりした様子で髪の毛から湯気を漂わせていた。今にも口笛を吹き出しそうな顔で、ドタドタと廊下をこちらに歩いてくる。  カトウは反射的に口をつぐんだ。電話の内容はおろか、電話の相手がクリアウォーターということすら、このおしゃべりな同僚に知られたくなかった。  カトウに気づいて、ササキが手を上げる。 ーー頼むから、とっとと立ち去ってくれ!!!!!  カトウの願いが通じたわけでもないだろうが。ササキは珍しく何のちょっかいも出さずに、階段を上がって行った。  頭上でばたんとドアが閉まる音に、カトウはようやく胸をなでおろした。  だが、その数十秒の間の出来事で、反論の機会は完全に失われてしまった。 「――安心してくれ。これが最後だ」  クリアウォーターの言葉は、カトウにというより自分自身に言い聞かせているようだった。 「月曜日から、私は君のいい上司になる。それ以外の者にはならないと約束する」 「あ、あの……少佐……」 「おやすみ、カトウ。よい週末を」  カチャリという音がして、電話が切れた。  音のしなくなった受話器を握りしめたまま、カトウは呆然とその場に立ち尽くした。

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