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第十二章(⑭)
「――つまり、あなたはこう言いたいんですか」
スティーヴ・サンダース中尉は乱れた髪を撫でつけながら、クリアウォーターに言った。
休日の朝七時半に突然やってきた迷惑な上司を、驚きながらも自分の部屋に招きいれたのは二十分前のことである。寝巻姿の上に私物のトレンチコートをひっかけただけの姿で、当然、身づくろいなどできていない。髪は寝ぐせがついたままで、あごにはうっすらひげが伸びており、普段の堅苦しい姿との落差が、妙になまめかしい印象を与えた。もっとも「色っぽいね」などと言おうものなら、本気で怒りだしそうなので、クリアウォーターは黙っていた。
サンダースは考えをまとめるように、軽く腕を組む。
「U機関にひそんでいた裏切り者――『ヨロギ』は、自分が犯した犯罪について、あなたが調査してまとめていたファイルを発見した。その中に貝原殺しの報告書が入っていたものだから、あなたの調査の手が自分のすぐ近くまで迫っている可能性に気づいた。だから、あなたを亡き者にしようとした」
「おおむね、そんなところだ。もっとも実際には、私はU機関内に裏切者がいることにすら、気づいていなかったんだけどね」
「…正直な話。『ヨロギ』がたまたまあなたの部下になったという仮説が、まだ信じられませんね。偶然だとしても、確率の上ではほとんど奇跡に近い」
「そうだろうね。でも、この仮説が正しければ、色々なことに説明がつくんだ」
クリアウォーターは自分の考えを言った。
「まずは動機だ。『ヨロギ』は自分が過去に犯した殺人を、私が調べていると知った。いずれ自分にたどり着くのではと恐慌をきたし、早いうちに始末しなければいけないと考えた」
「…自分で手をくださなかったのは?」
「私に対して、多少の情があったから――なんて理由だったらいいけどね。何より、自分に容疑がかかるのを避けたかったんだろう。前にも言ったように、私が不審な死に方をした場合、疑いの目が向けられる圏内にいることを、彼は十分に承知していた。だから、自分で手を下すことを避けて、若海組を使ったんだ」
「しかし、若海義竜をどう動かしたんです? 我々は関東に流通する麻薬を追っていたが、若海組が隠し持っていた生阿片の存在には、まだ気づいていなかったんですよ」
「スティーヴ。忘れてはいけないよ。『ヨロギ』は元スパイだ。スパイは敵から情報を盗み出すだけでなく、時には偽の情報を与えて混乱させるのが仕事だ」
「……偽情報を若海義竜に流して、彼をだましたと?」
サンダースの言葉に、クリアウォーターは「その通り」とうなずく。
「尋問した若海組の構成員、文谷徳治も言っていた。若海義竜は『ヨロギ』と元同級生の間柄で、少なくとも一度会っている。それに、生阿片を横領した増田豊吉を殺したのも『ヨロギ』だ。二人は間違いなく、以前からつながっていた。若海義竜が『ヨロギ』を通じて、占領軍の、とりわけ対敵諜報部隊とU機関の動向を逐一、手に入れていたと考える方が自然だ」
「それを逆に『ヨロギ』に利用された?」
「ああ。たとえば、私が麻薬の流通元に行きつく可能性が高くなってきたと言って、若海の危機感をあおる。さらに、私ひとりを消せば、すべての問題が解決するかのように思わせればいい――もっともらしい嘘をつくのは、スパイの十八番だ」
「しかし襲撃は失敗し、逆に若海義竜の口から、自分の正体が露見しかねない窮地に陥った。だから若海を殺したと?」
「そう。それに『ヨロギ』は元々、若海に脅されて、情報を流したり、増田や貝原を殺したんじゃないかと思う。日本軍のスパイとして働いていた過去を暴かれたくなければ、協力しろと」
ややあって、サンダースは口を開いた。
「…百歩ゆずって。あなたの仮説が正しいとしましょう。すると――『ヨロギ』は、U機関に勤める日系二世の誰かということになりますが…」
「いいや。そうとも限らない。外国人をスパイとして利用することは、今も昔も普通に行われていることだ」
すでに、クリアウォーターの頭の中では、次になすべきことが分かっている。『ヨロギ』による殺人が行われた一九四四年一月、二人の部下――アイダ准尉とフェルミ伍長は、殺人の舞台となったオーストラリアのブリスベンにいた。そして若海が殺された時間帯について、この二人のアリバイはまだ確認されていない。
どちらかのアリバイが証明できれば――消去法により、残った方が最有力の容疑者になるはずだった。
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