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第十二章(⑮)

 ……誰かがカーテンを動かす音で、カトウは目を覚ました。  まぶたを開けると、そこに見知らぬ天井が見えた。柔らかいベッドに横たわっている。その上で身体を九十度回転させると、格子窓から差し込んだ四月の陽光が、床の上に台形の模様を描いていた。  はて。居心地はよさそうだが、見覚えのない部屋だ。  まだ夢の続きにいるのかと、靄のかかった頭で考えようとしたその時、続き間である書斎の戸口から、見知った女性の顔がのぞいた。 「あら。お目覚めですか、加藤さん」  にこやかな笑顔で西村邦子に言われ、カトウはそのまま硬直した。  それからようやく、自分がすっ裸の状態にあり、毛布だけが局所や見苦しいその他をお手伝いさんの目から隠していることに気づいた。 「―――――――――!!!!!!!!!!!!!」  昨夜遅くにクリアウォーターの邸を尋ねたことから始まって、現在に至る状況を思い出すのに、半秒もいらなかった。ドイツ兵に襲撃を受け、塹壕に飛び込む時さながらのスピードで、カトウは毛布を頭から引っかぶった。  ぶるぶる震える饅頭型の毛布を前に、邦子は目をぱちくりさせた。  リトマス紙もかくやという速さでカトウの顔が赤くなったかと思ったら、毛布の下に隠れてしまったのだから、それも当然だろう。  近づいて軽くつつくと、毛布饅頭はさらに小さく丸くなった。 ――まるで、ダンゴ虫みたい。  邦子はその毛布を引っぺがしたい衝動にかられた。しかし、寸前のところで実行をひかえた。客人に対して礼儀を欠くこと甚だしいし、それ以前に可哀想に思えてきた。 「加藤さん」  邦子は毛布饅頭に呼びかける。 「持って来たお着替えは、このテーブルの上に置いておきます。あと、お風呂場は一階の奥にございますから、よかったらお使いください」  それから幼い弟妹をあやすように、毛布をぽんぽんと叩いた。 「朝ごはん――というより、もうお昼ごはんですね。おつゆ、温めておきますので、冷めない内に下りてきてくださいましね」  コンロにかけられた鍋から、白い湯気が立ち昇る。  そろそろかしら、と邦子が思った時、キッチンに続くドアを開けてためらいがちにカトウが入って来た。振り向いた邦子は、おたま片手ににっこりほほ笑んだ。 「おはようございます」 「……おはようございます」  この上なく気まずそうに、カトウがもごもごと口の中でつぶやく。着ているのは、白シャツに黒ズボンだが、サイズが身体に合っていない。 「……あの。昨日、俺が着ていた服は?」 「あ。たたんでおこうと思って見たら、えりやそでがずい分汚れていらっしゃったので、まとめて洗って干してしまいました。いい天気ですから、今日中には乾きますよ」 「…ええっと、この服は?」  カトウは自分の姿を見下ろす。シャツもズボンも、そして靴下も、型を見ればすぐに日本製と分かる。洗面所の鏡の前に映った姿は、小柄な日本人の男以外の何者でもなかった。アメリカ陸軍軍曹と言っても、多分誰も信じないに違いない。 「よくお似合いですよ」  邦子は言い、それから返答に窮すカトウを見て、ふふふと笑った。 「ズボンは郷里(くに)にいる親類に渡そうと、こちらであつらえたものです。シャツは……お気を害したらすみません。それ、わたくしのものなんです。だんなさまのシャツでは大きすぎると思って」 「…………」  肩幅はともかく、どうりで胸のあたりがやたら余っていると思った。  女性用シャツを着るジョージ・アキラ・カトウ軍曹(22)。  そんな三面記事の見出しのような文言が、悪夢のようにカトウの頭をよぎった。  ササキあたりに絶対に知られるわけにはいかない。この醜態で多分、向こう一年はいじりたおされるに決まっている。  というより、正直この格好をクリアウォーターに見られたくない。そう思って視線をさまよわせたカトウは、そこでようやく昨日一夜を共にした男の姿が見えないことに気づいた。 「だんなさまなら、つい先ほどお出かけになりましたよ」 「はあ……」 「朝出かけて、戻って来られてから、ずっと加藤さんの寝顔をにやにや眺めておいででしたが。いい加減、お声をかければと勧めたんですけど、『前に起こしてしまったから、今日はとことん寝かしてやるんだ』と言って聞かなかったもので」 「………」  穴があったら入りたい。そしてできたら、そのまま埋めてくれ。  ゆでだこのようになるカトウにかまわず、邦子は食器棚から次々と食器を取り出しにかかった。 「さて。準備ができましたので、そろそろお席についてくださいませ」

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